2011年6月10日金曜日

アジア映画社さんが語るアン・ソンギさん

韓流映画をはじめとして、様々なアジアのドラマ・映画の提供・配給・上映を手がけいらっしゃるアジア映画社さん。

アン・ソンギさん出演作品も1987年「於宇同(オウドン)/어우동(韓国での上映は1985年)」から数多く手がけていらっしゃる、アジア映画社の朴炳陽さん・兪澄子さんご夫妻をお訪ねしました。


インタビューは兪澄子さんにお答えいただきました。

初めてアン・ソンギさんに会われたのは?
1988年に『鯨とり/고래사냥』を日本で公開することになり、ソウルでお会いしました。
9月の大阪公開初日の舞台挨拶にはアン・ソンギさんを大阪にお招きしました。

その秋は環太平洋映画祭でも『成功時代/성공시대』の上映が急に決まり、時間的に余裕がなく、私はその35ミリプリントを手持ちで日本に運ばないといけなくなりました。ソウルでプリント入手に手間取り帰国日が遅れたのですが、それで金浦空港の搭乗待ちラウンジでアン・ソンギさんとバッタリ… アン・ソンギさんは自販機でコーヒーを買ってきてくれました。

当時はエコノミーで、自費で来日されていたんですよ。もちろんチケット代は日本で清算しましたが。

何かその時のエピソードはございますか?
話をしながら搭乗を待っていたところ、一人のアジュンマが「あんた、アン・ソンギだろ? 小さい頃の面影があるねぇ。最近はちっとも映画館に行く余裕がなくて、映画見ていないんだけどさ…」と話かけてきたんですね。一方、話しかけられたアン・ソンギさんといえば、丁寧な受け答えをしていました。

ひとしきり話して、そのアジュンマが行った後に「あの方、ご近所の方だったんですね?」と尋ねると、「…いいえ」と(笑)。アジュンマがとても親しく話しかけていて、アン・ソンギさんがきちんと対応されていたのでてっきり知り合いだとばかり思っていたのですが。

ところで、アジア映画社を発足されようと思われたきっかけをお聞かせください。
当時は、韓国映画が(劇場でもテレビでもビデオでも)日本にまったく紹介されていませんでした。
『風吹く良き日』以降、韓国映画が面白くなってきましたから、その息吹を日本に伝えたいと思いました。

日本のマスコミ報道はともすると政治一辺倒に傾きがちだったので、韓国に対する見方が一面的になってしまいます。激動する政治・社会、その中で生きている人間の喜怒哀楽に共感すること、それが言葉抜きで韓国、韓国人への理解につながると思いました。良い映画にはそんな力がありますから。

要は、日本で普通に韓国映画が見られるようになってほしい、でもまだ誰もしていなかったからです。

「於宇同」自主上映を87年になさったきっかけは。
「於宇同」はイ・ジャンホ監督が韓国の表現の自由の限界に挑戦して、センセーショナルな話題を呼んだ作品です。

日本で劇場公開したかったのですが、当時は日本の劇場(配給会社)の壁が高くて、劇場公開できず、自主上映しました。自主上映の限界を感じて、1988年度に『鯨とり』と『青春スケッチ』は劇場公開しました。折りしも東京にミニシアターが誕生しましたから。

長年に渡り韓国映画に仕事で携わられていて、何が変わって、何が不変だとお感じでしょうか。
韓国の映画人があまりお酒を飲まなくなりました(笑)。半分冗談ですが。

職人の世界から、ビジネスライクになったと言うか…
作品自体もスタイリッシュになって、「世代が変わった」という感じです。

今の監督はモニタを見ながら、その日その日撮った場面を確認していきますが、昔は全て監督の頭の中に入っていて、フレーミングとかも勘で決めていく。

ちょうど今、60代の監督がデジタルとアナログの境目にいるのでしょうか。

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アジア映画社さんのオフィスにはファン垂涎のアイテムが数多く保管されています。



スチール写真などもたくさん拝見させていただきました。




兪澄子さん、お忙しいところお時間ありがとうございました。
また次回、いろいろお話お聞かせください!

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