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2013年10月29日火曜日

NAVERコンテンツ

NAVERコンテンツに掲載の記事・インタビューです。

2013年4月11日木曜日

JTBCニューコン「ニューストーリー」1

4月5日、JTBC「ニューコン」の『ニューストーリー』にご出演でした(約30分の動画はこちら)。『last Knights』でハリウッド俳優達との共演についてなど。

「共演してみたい後輩の女優は?」の問いに、『은교/ウンギョ』の김고은さんを挙げられました。

2012年9月1日土曜日

アン・ソンギさんインタビュー

先日の福岡アジア映画祭にて行ったインタビューです。

「折れた矢/부러진 화살」のキム・ギョンホ教授役に関して、「役作りに努力した」とティーチインでおっしゃっていましたが、もう少し具体的に教えていただけますか?
教授が実際の人物であり、自分とは違った点が多かったです。異なる人物になってしまわないように、観客がアン・ソンギという俳優に対して持つイメージを出さないようにし、冷たい人として演技しようと努めました。

この映画が[制作側の予想より遥かに]ヒットした理由は何と考えていらっしゃいますか?
[映画制作・公開以前から]事件自体がすでに関心を集めていたこともありました。大切なのはストーリーですが、またそれを表現する方法も面白いと感じました。シナリオを読んだときから完成度が高いと感じ、出演をすぐに決めました。現場ではスタッフと俳優間のコミュニケーションも非常にうまく取れていましたね。


「権力が持つ力」に対して日頃から不満や鬱憤を持っている観客にこの作品が制作側が予想していた以上に痛快に写り、口コミで広まったのではとも思います。アメリカと違い、韓国で法律に関する映画は法廷での被告・原告のやり取りであまり動きがないシーンのため、つまらないと観客から言われることも多いですが、この作品では裁判長にくってかかるようなシーンがあったことも理由の1つではないでしょうか。

教授とご自身の共通点があるとすれば何でしょうか?
そうですね…[しばし考えて]あえて言うとすれば、ドラマや舞台、政治など映画以外のことはしたくないというちょっと頑固なところでしょうか(笑)。


そうですか(笑)。ところで、この秋
アシアナ国際短編映画祭で公開予定の「JURY(仮題)」について教えてください。
キム・ドンホ釜山国際映画祭名誉執行委員長が演出をなさるのですが、アシアナ国際短編映画祭10周年を記念して何か素敵なイベントができれば、ということで始まりました。短編かドキュメンタリーがいいでしょう、と。世界的に有名なチャンリュル監督(「豆満江」)が3年前にシナリオを書かれていましたが、映画祭の記念作品としては少し物足りない部分もあったのでユン・ソンホ監督がそれをベースに非常に笑える作品として書き直しました。音楽はバン・ジュンソク音楽監督(「ラジオ・スター」)が担当しています。スタッフも有名な方々が名を連ねている他、評論家役では日本のイメージフォーラムの富山さんにも出演いただいています。

今年、その他に出演の作品はありますか?
「TOWER」というパニック(災難)映画なのですが、クリスマスに高層ビルで火災が発生します。ソル・ギョングさんが消防隊長で、私が消防署長です。

最後に、本当に長い間、俳優生活を続けていらっしゃるわけですが、その秘訣は何でしょうか? 
[即答で]それは映画が面白いからですよ。自分は恵まれていて、やりたくてもできない人は本当にたくさんいます。自分のポジションを保ちつつ、続けてこられたのは幸運でした。それに日々感謝しています。

[通訳:임구순、写真:小栁宏美]

2011年11月30日水曜日

イ・ジュニク監督が語るアン・ソンギさん

京都ヒストリカ国際映画祭で来日中のイ・ジュニク監督にお話をうかがいました。


アン・ソンギさんと初めて会ったときの印象は?
初めて会ったといっても、以前から映画を通して、またいろいろな所で見ていましたから、いつ知り合ったかも記憶にないくらいです。イメージと大きく違った印象ではなく、思っていた通り温和な方ですよ。

何を言っても聞いてくれて、いつもやさしい雰囲気がただよっています。そして、秘密は必ず守ってくれるという確信が持てる、信頼できる人ですね。今では兄と弟のような間柄ですよ。



撮影所内で記念写真を撮影をする監督。

「ラジオスター」のキャスティングについて。
「ラジオスター」はそんなアン・ソンギさんとパク・チュンフンさんのために書いたシナリオですから、キャスティングが先でした。アン・ソンギさんは大物ですが、ギャラは決して法外ではありませんし、大金を要求するような方でもありません。私のキャスティングする原則は、第一にギャラが安い人です(笑)。

監督ご自身のお気に入りは?
お気に入りで自信作は「ラジオスター」と「王の男」です。


[写真/インタビュー 임구순]

イ・ジュニク監督、お時間ありがとうございました!

2011年10月9日日曜日

アン・ソンギさんインタビュー5

インタビューその1。
インタビューその2。
インタビューその3。
インタビューその4。

「
실미도/シルミド」や「화려한 휴가/光州5・18」、また新作の「부러진화살」など、史実や実際の事件を基にした作品に出演なさる時、何か心がけていらっしゃることはありますか。
敢えて実際の情報、関係者に会ったりしません。シナリオだけを読み込み、自分の感覚を信じてその登場人物を深く理解していくだけです。もちろん馬術や武術など専門的なものは習いますが、他のことは特にしないですね。

完全なフィクションの作品について出演の決め手は「芸術的に昇華されているかどうか、またはただの作品か」という点です。

2011年9月26日月曜日

アン・ソンギさんインタビュー4

インタビューその1。
インタビューその2。
インタビューその3。

イ・ミョンセ監督からうかがった話
です。「NOWHERE 情け容赦無し/인정사정 볼 것 없다」の記者会見直前まで出演を悩んでいた(もしくは悩んでいるように見えた)ので監督・共演者の皆さんが心配していた、でも一旦記者会見が始まると「はい、[主役ではないですが]出演します」とキッパリ発言なさったので皆びっくりした… と。

あの時は本当に悩みました。元々「형사수첩(
刑事手帳)」というタイトルで主役の刑事役で話が来ていたのですが犯人役にオファーが変わり、「どうして…」といろいろ思っていました。でもイミョンセ監督が[私が仕事でいた]釜山までわざわざ来て「非常に重要な意味合いを持つ準主役だからこそ、お願いしたい」と直接説明してくれ、その意味を納得し、出演することに決めました。

あの映画では準主役で出番も少なかった、でもシナリオが良かった。
そしてこの作品が私にとって「準主役を演ずる」という新しい出発点になりました。「第2の俳優人生」が始まったというか。

そして、これから後が逆に楽になりましたね。シナリオがよければ、自分が出演する意味を見いだせれば、役の大小に関わらず、出演シーンが少なくても出ようと心を決めました。その契機になった映画です。

記者会見直前まで悩んでいたように見えたのは… そうでしたか? よく覚えていないですが(笑)。



2011年9月8日木曜日

キスシーンについて

キスシーンについて、以前インタビューで答えられたコメントが載っています。

2011年9月3日土曜日

平井久志さんが語るアン・ソンギさん

「風吹くよき日」「鯨とり ナドヤカンダ」日本公開に合わせ、今年6月にソウルで安聖基さんに単独インタビューなさった共同通信編集委員・論説委員の平井久志さんにお話をうかがいました。


90年にアシアナ航空の機内誌用に単独インタビューをなさっていますが、今回約20年ぶりにお会いになってどんな印象を持たれましたか?
単独インタビューは2回目ですが、これまで団体インタビュー等に何度か参加したこともありました。この20年間特に変わっていないなぁ、というのが正直なところです。謙虚で、誠実な人柄は本当に変わっていないし、加えて気さくです。とても「国民俳優」という感じではありません。例えば、僕がもし、日本の「国民俳優」例えば、渥美清さんみたいな方にインタビューするなら、かなり、緊張すると思うのですが、安聖基さんの場合、そういう感じはありません。気さくな平常心でインタビューできました。「あまり変わっていないだろうな」と思っていたら「やっぱり変わっていない」という感じです。

83〜84年に留学なさって公開当時「鯨とり」をご覧になったそうですが、その時市民の間ではどのように話題になっていましたか?
非常に人気のあった作品でしたよ。私はソウルの鍾路の団成社(タンソンサ)という映画館で見た記憶があるのですが、間違っているのかもしれません。僕は今回のインタビューで安さんに「この映画は韓国のイージーライダーですね」と言うと、笑って肯定している感じでした。

あぁ、ずっと気になっていてインタビューの時に尋ねたことがあります。「ウド」という島が本当の島かどうかということ。済州島に「牛島(ウド)」という島があるのですが、済州島で雪があるわけはなく、江原道のようなところに「ウド」という島があるのかという疑問と、江原道ならチュンジャが最後に母親と話す慶尚南道なまりは変で、話が合わないのではないかとずっと疑問でした。
安聖基さんの答えは「この牛島(ウド)は架空の島」という回答でした。韓国語を勉強した者には、チュンジャの慶尚道なまりが本当に魅力的です。これは字幕では味わえない感覚ですね。

これまでなさったインタビューの中で何か印象に残っている点があれば教えてください。
延世(ヨンセ)大学国文科の馬光洙教授が「
安聖基よ、『ヤハン・キ(派手な氣)』を養え」と言ったことがあります。90年のインタビューでその発言について尋ねたのですが「『ヤハン・キ』は年をとると派手でなくなるし、瞬間的なものでしかない。これからは熱の冷めない、永遠性のある作品に出演したい」と言っていましたね。

安聖基さんは私の好きな俳優です。安聖基さんも、僕も1952年生まれです。韓国では解放後も朝鮮戦争がありましたから、朝鮮戦争のあった1950年から53年に生まれた世代は「戦中派」なのです。同じ「戦中派」として、記者として韓国の現代史を取材してきました。僕は記者として韓国現代史とつきあってきましたが、安聖基さんの活動はまさに映画を通じた「韓国現代史」です。役柄は多様で、すばらしい方ですが、ずっと芯の部分は同じだと思います。梅の実なら、安聖基さんは梅干しの酸っぱい味や甘く漬けた梅までいろいろな味を出してきましたが、その梅の実の中にある殻は壊していないような気がします。梅の実の中には「天竺」という種がありますが、その部分を出した映画がみたいという気がします。それは、まだ本当の安聖基さんが映画に表出されていないような気がしますね。私が監督だったらその「真の安聖基」を何とか出してみたいなぁ(笑)。

ーーー

平井さん、お忙しい中お時間ありがとうございました。また
安聖基さんへインタビューなさる機会ございましたら、ぜひエピソードお聞かせください。

[今回はアン・ソンギさんの表記を平井さんがこちらのほうがお好きということでタイトル以外は『安聖基』にしてあります]

2011年9月1日木曜日

アン・ソンギさんインタビュー3

インタビューその1。
インタビューその2。

現在日本で「風吹く良き日」(1980)、「鯨とり」(1984)が公開になっています。今回初めてアン・ソンギさんの作品を見た方から「2作品で違う人が演じているのかと思った」という感想を聞きました。
そりゃあ俳優だからね(爆笑)。



えぇ、もちろんそうなのですが(苦笑)、80年代は政局的にも大きな変動があり、またアン・ソンギさんのプライベートでも奥様との出逢いもありました。この4年間で何か他に個人的に特別な変化がございましたか?
80年は確かに政治的にもいろいろなことがおき、また検閲も厳しかったです。パク・チョンヒ大統領が暗殺され、世の中の流れも変わりました。
目に見えない圧力の中で葛藤する青年たちの話ですし、そういう中での「風吹く…」の公開でしたが、「鯨とり」は元々ファンタジーですし、笑いもある。自分自身も面白く出演した作品でした。2つはそういった意味でも全く異なる作品ですから[特にそのように見えたのではないでしょうか]。

また「風吹く…」の後、81年に「난장이가 쏘아올린 작은 공」という作品に出て、この頃からとても忙しくなりました。そうして経験を積んでいったことも関係していると思います。

2011年8月26日金曜日

アン・ソンギさんインタビュー2

インタビューその1。

先日の記者会見で「[このキャプテン役のような]ワイルドなアクションシーンはまた機会があれば挑戦したい」とおっしゃっていましたが、日頃から他にやりたいとお思いの役があれば教えてください。
これからもいろいろな役を演じていきたいですが、年に合った役をしたいですね。演技自体が好きなので、特にアクションシーンが、というわけではないのです(苦笑)。私自身は静かな映画が好きですね。

「アン・ソンギ=国民俳優、いい人、いい父親像…」というイメージが観客に定着していると重います。逆にそのイメージがオファーされる役を制限しているかもしれないと感じられたことはありますか?
悪役に徹するのは難しいですし、そういった役で出るのは難しいと思います。本当に悪役が出る理由が明白であり、話に必要であればいいのですが… 悪人を描いたよい作品もできますが、できれば善人を描いた映画を作る方を好みます。




2011年8月7日日曜日

アン・ソンギさんインタビュー1

8月4日、「7광구」初日にソウル市内で行ったインタビューです。複数回に分けて掲載します。

韓国初の3D、99%がCG制作などといろいろ技術面で話題になっている「7광구」ですが、最初この映画に出演の話が来た時、どのように思われましたか?
これまで「グエムル--漢江の怪物/괴물」、「TSUNAMI/해운대」など一部にCGを使った作品はありましたが、このように本格的にグリーンマットを使って撮影した作品はありませんでしたので興味深いと思いました。また韓国初の3D映画ということでその作品に参加することにも私にとって意味があるのではと思い、出演することを嬉しく思いました。

作品の記者懇談会で「怪物と目線を合わせることができないので、皆があちこちを見てしまい難しかった」とおっしゃっていました。
目線もそうでしたが、グリーンマットの前で、実際にいない怪物に対して感情を交わすことができないのも難しかったですね。でも、出演者の皆もある程度回を重ねると慣れていきましたよ。

その他にCGという点で想像以上で難しかったこととか、何かありましたか?
あ、そう言えばこんなこともありましたね… 海中の作業員と通信するシーンで、実際のセットでは30mくらい離れたところにいるのが見える人と話したんですが、作品ができあがって見てみると100mくらい下になっていたんです。監督も一応説明はしてくれたのですが、どれくらいの距離、というのは撮影時はよく分からなかったです。

(写真:ピョ・ジュニ、同時通訳:キム・ヒョンニム)

(つづく)

2011年8月5日金曜日

アン・ソンギさんインタビュー

昨日、ソウル市内でインタビューを行いました。
後日この情報板で詳細ご報告いたします。

(写真:ピョ・ジュニ、同時通訳:キム・ヒョンニム、コーディネータ:ユ・ヒョクチュ)

2011年7月7日木曜日

「7鉱区/7광구」製作発表会3

7日午前왕십리CGVで行われた「7鉱区/7광구」製作発表会で、ご自身の年齢とアクションシーンに関して語っていらっしゃいます。
ーーー
動画です。

2011年6月25日土曜日

アン・ソンギさんビデオレター

「風吹く良き日」初日に劇場で上映されたビデオレターです。

東日本大震災の被災者へメッセージ




震災の報道に触れたときは本当に大きな衝撃を受け、胸を痛めました。
とても言葉では言い表せないほどの慰労の気持ちをお伝えしたいと思います。

悲しみを一日も早く克服し、全ての問題が円満に解決できますように、韓国だけでなく世界中が一日も早い復興を願っています。
簡単ではないでしょうが、日本がこの苦難に打ち勝つことを祈っています。
ーー
그런 어떤 큰 이번 그 사건을 저희가 알게 됐을 때 진짜 많은 우리 국민들이 너무나 많이 충격을 받았고 가슴 아파했습니다.
어떻게 말로 어떻게 형용할 수 없는 그런 위로의 말씀을 이렇게 보내드리고 싶고, 하여튼 그런 어떤 슬픔 뭐 이런 것을 빨리 극복했으면 좋겠고 빨리 잘 모든 것이 원만하게 뒷수습이 됐으면 좋겠고 지금 뭐 세계나 한국이나 마찬가지로 전부 일본이 빨리 복구됐으면 좋겠다는 심정은 전부 같은 것 같습니다.
여러분 힘드시더라도 잘 이렇게 참으시고 이 고난을 이겨내시기를 바라겠습니다.

日本のファンへメッセージ

私の映画をご覧いただいた方々、ファンの皆さま、本当にありがとうございます。
きっと昔から私の映画をご覧いただいているファンの方々もいると思います。これからも心変わりしないようお願いいたします。
新しい映画を通して、喜びや感動を分かち合い、同じ時代を呼吸したいと思います。
皆さまの健康とお幸せをお祈りいたします。

어떤 이렇게 제 영화를 보기 위해서 이렇게 와주신 여러분들께 팬들께 감사 말씀 드립니다.
분명히 아마 오랫동안 저에게 애정을 보내주시는 분들이 분명히 많으리라고 생각하고요.
앞으로도 그 변치 마시기를 바라고 또 새로운 영화를 통해 가지고 늘 기뻐하며 그 영화를 통해서 즐거워하며 또 감동받으면서 같은 이 시대를 같이 호흡하면서 살아가기를 바라겠습니다.
여러분들 건강하시고 모두 다 행복하시길 바라겠습니다.

(ハングル書きおこし:藤田友秀、イ・テウ)

2011年6月10日金曜日

アジア映画社さんが語るアン・ソンギさん

韓流映画をはじめとして、様々なアジアのドラマ・映画の提供・配給・上映を手がけいらっしゃるアジア映画社さん。

アン・ソンギさん出演作品も1987年「於宇同(オウドン)/어우동(韓国での上映は1985年)」から数多く手がけていらっしゃる、アジア映画社の朴炳陽さん・兪澄子さんご夫妻をお訪ねしました。


インタビューは兪澄子さんにお答えいただきました。

初めてアン・ソンギさんに会われたのは?
1988年に『鯨とり/고래사냥』を日本で公開することになり、ソウルでお会いしました。
9月の大阪公開初日の舞台挨拶にはアン・ソンギさんを大阪にお招きしました。

その秋は環太平洋映画祭でも『成功時代/성공시대』の上映が急に決まり、時間的に余裕がなく、私はその35ミリプリントを手持ちで日本に運ばないといけなくなりました。ソウルでプリント入手に手間取り帰国日が遅れたのですが、それで金浦空港の搭乗待ちラウンジでアン・ソンギさんとバッタリ… アン・ソンギさんは自販機でコーヒーを買ってきてくれました。

当時はエコノミーで、自費で来日されていたんですよ。もちろんチケット代は日本で清算しましたが。

何かその時のエピソードはございますか?
話をしながら搭乗を待っていたところ、一人のアジュンマが「あんた、アン・ソンギだろ? 小さい頃の面影があるねぇ。最近はちっとも映画館に行く余裕がなくて、映画見ていないんだけどさ…」と話かけてきたんですね。一方、話しかけられたアン・ソンギさんといえば、丁寧な受け答えをしていました。

ひとしきり話して、そのアジュンマが行った後に「あの方、ご近所の方だったんですね?」と尋ねると、「…いいえ」と(笑)。アジュンマがとても親しく話しかけていて、アン・ソンギさんがきちんと対応されていたのでてっきり知り合いだとばかり思っていたのですが。

ところで、アジア映画社を発足されようと思われたきっかけをお聞かせください。
当時は、韓国映画が(劇場でもテレビでもビデオでも)日本にまったく紹介されていませんでした。
『風吹く良き日』以降、韓国映画が面白くなってきましたから、その息吹を日本に伝えたいと思いました。

日本のマスコミ報道はともすると政治一辺倒に傾きがちだったので、韓国に対する見方が一面的になってしまいます。激動する政治・社会、その中で生きている人間の喜怒哀楽に共感すること、それが言葉抜きで韓国、韓国人への理解につながると思いました。良い映画にはそんな力がありますから。

要は、日本で普通に韓国映画が見られるようになってほしい、でもまだ誰もしていなかったからです。

「於宇同」自主上映を87年になさったきっかけは。
「於宇同」はイ・ジャンホ監督が韓国の表現の自由の限界に挑戦して、センセーショナルな話題を呼んだ作品です。

日本で劇場公開したかったのですが、当時は日本の劇場(配給会社)の壁が高くて、劇場公開できず、自主上映しました。自主上映の限界を感じて、1988年度に『鯨とり』と『青春スケッチ』は劇場公開しました。折りしも東京にミニシアターが誕生しましたから。

長年に渡り韓国映画に仕事で携わられていて、何が変わって、何が不変だとお感じでしょうか。
韓国の映画人があまりお酒を飲まなくなりました(笑)。半分冗談ですが。

職人の世界から、ビジネスライクになったと言うか…
作品自体もスタイリッシュになって、「世代が変わった」という感じです。

今の監督はモニタを見ながら、その日その日撮った場面を確認していきますが、昔は全て監督の頭の中に入っていて、フレーミングとかも勘で決めていく。

ちょうど今、60代の監督がデジタルとアナログの境目にいるのでしょうか。

ーーー
アジア映画社さんのオフィスにはファン垂涎のアイテムが数多く保管されています。



スチール写真などもたくさん拝見させていただきました。




兪澄子さん、お忙しいところお時間ありがとうございました。
また次回、いろいろお話お聞かせください!

2011年6月3日金曜日

「ペースメーカー」記者懇談会 質疑応答

「ペースメーカー」記者懇談会での質疑応答です。
ーー
6月5日:リンクの不具合を修復しました。

2011年4月27日水曜日

イ・ミョンセ監督が語るアン・ソンギさん

先日、大分県別府市で開催された第3回別府八湯♨日韓次世代映画祭にいらした、イ・ミョンセ監督のインタビューです。


アン・ソンギさんに最初に会われたのはどんな機会でしたか?
イ・ジャンホ監督の演出部にペ・チャンホ監督と一緒に所属していたのが縁で、彼が「コバン村の人々」という映画を演出する時に、編集室で会いました。82年ごろだったかな。

どんな初印象でしたか?
そうだな… いい人そうだったよ(笑)。

アン・ソンギさんのその映画はまだ見ていなかったけれど、子役でスターだった人でしょ? ちょっとずつ作品を見て行ったけど、なかなか子役時代のイメージと青年のアン・ソンギさんを最初はピッタリ合わすことができなかったね。

多くの作品を撮影されましたが、何かエピソードがございますか?
何しろたくさんあるからね…

「鯨とり コレサニャン/고래사냥」の撮影時、ほんとに寒かったんだけどね、その寒さに耐えかねてアン・ソンギさんにしては悪い言葉が出たかな(笑)。

それから「NOWHERE 情け容赦無し/인정사정 볼 것 없다」の最後の決闘シーン、

一週間雨の中で撮影時してた時、パク・チュンフンさんがアン・ソンギさんに「この雨のシーン、取り直しになったらどうしましょうか…」と尋ねたんだよね。そうしたら彼が「[取り直すなら]雨を雪に変えてくれ!」と。

つまり、どんなに辛いことがあっても不満を言わない彼なのに、
そんな言葉が出るくらい「鯨とり…」と「NOWHERE…」の2作に限っては大変な撮影だった、ということ。

2009年、監督が第2回日韓次世代交流映画祭にいらっしゃった時に、「NOWHERE…」の制作発表まではアン・ソンギさんが出演するかどうかを迷われていた、でも記者会見場で「はい、参加します」と突然はっきり出演の意思を表明された、とおっしゃっていましたね。その理由は解明されましたか? 
いや、まだだね。今度聞いてみたら?(笑)

(映画祭で)「デュエリスト/형사 Duelist」上映後に観客からの質疑応答でも出ていましたが、監督の作品は視覚的に訴える作品が多いですね。小さい頃からそういった感覚に優れていたように思われますか?
うーん、どうかなぁ…[しばし考える]。
そうだね、美術や漫画は好きだったし、絵もよく描いていましたよ。今でも絵コンテも描くし。

近々に監督がアン・ソンギさんとご一緒にお仕事をされるかも、という話を聞いたのですが。
最新作の「ミスターK」のシナリオはまだ製作途中だけれど、一緒にできるかどうか話しているところ。肯定的に考えてくれているようですね。

この6月に「鯨とり…」が日本でリバイバル上映になります。一言お願いします。
「鯨とり…」には僕も出ているからね、靴みがきの役で。
これは初・助監督作品だったから、いろんな意味で思い入れ深い作品だね。

ーー
イ・ミョンセ監督、朝早くのインタビューにおつきあいいただき、ありがとうございました!
最新作も楽しみにしています。

(通訳:김승아、翻訳補助:이태우)

2011年4月19日火曜日

イ・ミョンセ監督来日

4月15〜17日に大分県別府市で開催された別府八湯日韓次世代映画祭。
ゲストの一人として、イ・ミョンセ/
이명세監督が来日されました。



インタビューを近日中にアップいたします。

2011年4月11日月曜日

ペ・チャンホ監督の語るアン・ソンギさん

先日KOFAで「鯨とり」上映後にトークショーをされたペ・チャンホ監督。快くインタビューに応じてくださいました。


アン・ソンギさんと最初にお会いになられたのはいつでしたか? またその時の印象は?
1980 年の前半、「風吹く良き日」の助監督時期に偶然、光化門(クァンファムン)の喫茶店で会いました。その場に私はイ・ジャンホ監督と一緒にいたのですが、青 年アン・ソンギ氏を初めて見る瞬間でしたね。もちろん子役時代のアン・ソンギ氏はスクリーンで何度も見ましたが。

第一印象は、人間的には謙虚で誠実な人と感じたし、演技者としても知的でありがながら庶民的な役まで全部こなすことができるのではという雰囲気が感じられました。

撮影中、何か特に印象深く残っているエピソードはございますか?
13本もの作品を一緒に作ったので1本1本それぞれの記憶は思い出せませんが、

●『鯨とり』ではミヌの衣装を探すために二人して色々な市場を歩き回り、南大門市場でふさわしい服を選び出すことができ、喜んだこと

●そうして手に入れた衣装にあのポケットを、アン・ソンギ氏自身が家で裁縫して付けたというプロ根性

●本当に息がよく合った演技者で、監督の私をいつも信頼したこと

ですね。

今回の日本でのリバイバル上映に関して、日本のファンの方々にメッセージをお願いします。
二つの作品とも1980年代に日本の韓国映画ファンから愛してもらった作品ですが、2011年、
このようにして日本の観客の方々にまた見ていただけることが本当に嬉しく、当時の封切の時のように心が踊ります。

この映画を通じて、「鯨とり」の主人公らと共に日本の観客の皆さんがご自身の心の中の「鯨」を探すことを願って… 機会があれば私も公開時に、日本に行ってみたいですね。

ーーー
ペ・チャンホ監督、お忙しい中丁寧にご回答いただき、ありがとうございました。

2010年12月28日火曜日

ユニセフ親善大使の活動

MBCニュースでのインタビューです(動画はInternet Explorerでないと閲覧できないようです)。
「7광구」は来年7月公開予定、そしてユニセフ親善大使の活動についてなど、お話されています。