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2011年11月30日水曜日

イ・ジュニク監督が語るアン・ソンギさん

京都ヒストリカ国際映画祭で来日中のイ・ジュニク監督にお話をうかがいました。


アン・ソンギさんと初めて会ったときの印象は?
初めて会ったといっても、以前から映画を通して、またいろいろな所で見ていましたから、いつ知り合ったかも記憶にないくらいです。イメージと大きく違った印象ではなく、思っていた通り温和な方ですよ。

何を言っても聞いてくれて、いつもやさしい雰囲気がただよっています。そして、秘密は必ず守ってくれるという確信が持てる、信頼できる人ですね。今では兄と弟のような間柄ですよ。



撮影所内で記念写真を撮影をする監督。

「ラジオスター」のキャスティングについて。
「ラジオスター」はそんなアン・ソンギさんとパク・チュンフンさんのために書いたシナリオですから、キャスティングが先でした。アン・ソンギさんは大物ですが、ギャラは決して法外ではありませんし、大金を要求するような方でもありません。私のキャスティングする原則は、第一にギャラが安い人です(笑)。

監督ご自身のお気に入りは?
お気に入りで自信作は「ラジオスター」と「王の男」です。


[写真/インタビュー 임구순]

イ・ジュニク監督、お時間ありがとうございました!

2011年11月22日火曜日

アン・ソンギさんと村山俊夫先生

11月17日、ミョンボアートホール前にてアン・ソンギさんと村山俊夫先生。それぞれ韓国語版、日本語版を手に。

[写真 キム・スヘ]


2011年11月21日月曜日

「청춘이 아니라도 좋다」今週発売予定

村山俊夫先生の「アン・ソンギ——韓国『国民俳優』の肖像」の韓国語版「청춘이 아니라도 좋다」が今週発売予定と、先生および出版社사월의책から連絡がありましたのでご案内いたします。
ーー
「21日に発売になりました」と追加連絡がありました。
ーー


朝鮮日報にて動画を含むアン・ソンギさんと村山先生のインタビューが掲載されています。

2011年9月3日土曜日

平井久志さんが語るアン・ソンギさん

「風吹くよき日」「鯨とり ナドヤカンダ」日本公開に合わせ、今年6月にソウルで安聖基さんに単独インタビューなさった共同通信編集委員・論説委員の平井久志さんにお話をうかがいました。


90年にアシアナ航空の機内誌用に単独インタビューをなさっていますが、今回約20年ぶりにお会いになってどんな印象を持たれましたか?
単独インタビューは2回目ですが、これまで団体インタビュー等に何度か参加したこともありました。この20年間特に変わっていないなぁ、というのが正直なところです。謙虚で、誠実な人柄は本当に変わっていないし、加えて気さくです。とても「国民俳優」という感じではありません。例えば、僕がもし、日本の「国民俳優」例えば、渥美清さんみたいな方にインタビューするなら、かなり、緊張すると思うのですが、安聖基さんの場合、そういう感じはありません。気さくな平常心でインタビューできました。「あまり変わっていないだろうな」と思っていたら「やっぱり変わっていない」という感じです。

83〜84年に留学なさって公開当時「鯨とり」をご覧になったそうですが、その時市民の間ではどのように話題になっていましたか?
非常に人気のあった作品でしたよ。私はソウルの鍾路の団成社(タンソンサ)という映画館で見た記憶があるのですが、間違っているのかもしれません。僕は今回のインタビューで安さんに「この映画は韓国のイージーライダーですね」と言うと、笑って肯定している感じでした。

あぁ、ずっと気になっていてインタビューの時に尋ねたことがあります。「ウド」という島が本当の島かどうかということ。済州島に「牛島(ウド)」という島があるのですが、済州島で雪があるわけはなく、江原道のようなところに「ウド」という島があるのかという疑問と、江原道ならチュンジャが最後に母親と話す慶尚南道なまりは変で、話が合わないのではないかとずっと疑問でした。
安聖基さんの答えは「この牛島(ウド)は架空の島」という回答でした。韓国語を勉強した者には、チュンジャの慶尚道なまりが本当に魅力的です。これは字幕では味わえない感覚ですね。

これまでなさったインタビューの中で何か印象に残っている点があれば教えてください。
延世(ヨンセ)大学国文科の馬光洙教授が「
安聖基よ、『ヤハン・キ(派手な氣)』を養え」と言ったことがあります。90年のインタビューでその発言について尋ねたのですが「『ヤハン・キ』は年をとると派手でなくなるし、瞬間的なものでしかない。これからは熱の冷めない、永遠性のある作品に出演したい」と言っていましたね。

安聖基さんは私の好きな俳優です。安聖基さんも、僕も1952年生まれです。韓国では解放後も朝鮮戦争がありましたから、朝鮮戦争のあった1950年から53年に生まれた世代は「戦中派」なのです。同じ「戦中派」として、記者として韓国の現代史を取材してきました。僕は記者として韓国現代史とつきあってきましたが、安聖基さんの活動はまさに映画を通じた「韓国現代史」です。役柄は多様で、すばらしい方ですが、ずっと芯の部分は同じだと思います。梅の実なら、安聖基さんは梅干しの酸っぱい味や甘く漬けた梅までいろいろな味を出してきましたが、その梅の実の中にある殻は壊していないような気がします。梅の実の中には「天竺」という種がありますが、その部分を出した映画がみたいという気がします。それは、まだ本当の安聖基さんが映画に表出されていないような気がしますね。私が監督だったらその「真の安聖基」を何とか出してみたいなぁ(笑)。

ーーー

平井さん、お忙しい中お時間ありがとうございました。また
安聖基さんへインタビューなさる機会ございましたら、ぜひエピソードお聞かせください。

[今回はアン・ソンギさんの表記を平井さんがこちらのほうがお好きということでタイトル以外は『安聖基』にしてあります]

2011年8月26日金曜日

アン・ソンギさんインタビュー2

インタビューその1。

先日の記者会見で「[このキャプテン役のような]ワイルドなアクションシーンはまた機会があれば挑戦したい」とおっしゃっていましたが、日頃から他にやりたいとお思いの役があれば教えてください。
これからもいろいろな役を演じていきたいですが、年に合った役をしたいですね。演技自体が好きなので、特にアクションシーンが、というわけではないのです(苦笑)。私自身は静かな映画が好きですね。

「アン・ソンギ=国民俳優、いい人、いい父親像…」というイメージが観客に定着していると重います。逆にそのイメージがオファーされる役を制限しているかもしれないと感じられたことはありますか?
悪役に徹するのは難しいですし、そういった役で出るのは難しいと思います。本当に悪役が出る理由が明白であり、話に必要であればいいのですが… 悪人を描いたよい作品もできますが、できれば善人を描いた映画を作る方を好みます。




2011年8月7日日曜日

アン・ソンギさんインタビュー1

8月4日、「7광구」初日にソウル市内で行ったインタビューです。複数回に分けて掲載します。

韓国初の3D、99%がCG制作などといろいろ技術面で話題になっている「7광구」ですが、最初この映画に出演の話が来た時、どのように思われましたか?
これまで「グエムル--漢江の怪物/괴물」、「TSUNAMI/해운대」など一部にCGを使った作品はありましたが、このように本格的にグリーンマットを使って撮影した作品はありませんでしたので興味深いと思いました。また韓国初の3D映画ということでその作品に参加することにも私にとって意味があるのではと思い、出演することを嬉しく思いました。

作品の記者懇談会で「怪物と目線を合わせることができないので、皆があちこちを見てしまい難しかった」とおっしゃっていました。
目線もそうでしたが、グリーンマットの前で、実際にいない怪物に対して感情を交わすことができないのも難しかったですね。でも、出演者の皆もある程度回を重ねると慣れていきましたよ。

その他にCGという点で想像以上で難しかったこととか、何かありましたか?
あ、そう言えばこんなこともありましたね… 海中の作業員と通信するシーンで、実際のセットでは30mくらい離れたところにいるのが見える人と話したんですが、作品ができあがって見てみると100mくらい下になっていたんです。監督も一応説明はしてくれたのですが、どれくらいの距離、というのは撮影時はよく分からなかったです。

(写真:ピョ・ジュニ、同時通訳:キム・ヒョンニム)

(つづく)

2011年7月17日日曜日

KOFAにてペ・チャンホ監督3:撮影地について

映画評論家キム・ヨンジンさん(司会):
撮影地はどこですか?  具体的に江原道の…

ペ・チャンホ監督:
江原道の色々な地域ですね。 最も多く撮影した所は임계/イムゲ[面]という所です。 そこに80年代末まで昔の家屋がたくさん残っていました。 それでイムゲ、
정선/旌善(チョンソン)郡、태백/太白(テベク)市、 강릉/江陵(カンヌン)市、묵호/[東海市]墨湖(ムコ)洞、そんな江原道一帯です。

江原道地図




その2
その1

2011年7月5日火曜日

「7鉱区/7광구」脚本ユン・ジェギュンさん

「7鉱区/7광구」脚本ユン・ジェギュンさんインタビューです。イ・ミョンセ監督次回作「ミスターK」についても触れられています。

2011年6月10日金曜日

アジア映画社さんが語るアン・ソンギさん

韓流映画をはじめとして、様々なアジアのドラマ・映画の提供・配給・上映を手がけいらっしゃるアジア映画社さん。

アン・ソンギさん出演作品も1987年「於宇同(オウドン)/어우동(韓国での上映は1985年)」から数多く手がけていらっしゃる、アジア映画社の朴炳陽さん・兪澄子さんご夫妻をお訪ねしました。


インタビューは兪澄子さんにお答えいただきました。

初めてアン・ソンギさんに会われたのは?
1988年に『鯨とり/고래사냥』を日本で公開することになり、ソウルでお会いしました。
9月の大阪公開初日の舞台挨拶にはアン・ソンギさんを大阪にお招きしました。

その秋は環太平洋映画祭でも『成功時代/성공시대』の上映が急に決まり、時間的に余裕がなく、私はその35ミリプリントを手持ちで日本に運ばないといけなくなりました。ソウルでプリント入手に手間取り帰国日が遅れたのですが、それで金浦空港の搭乗待ちラウンジでアン・ソンギさんとバッタリ… アン・ソンギさんは自販機でコーヒーを買ってきてくれました。

当時はエコノミーで、自費で来日されていたんですよ。もちろんチケット代は日本で清算しましたが。

何かその時のエピソードはございますか?
話をしながら搭乗を待っていたところ、一人のアジュンマが「あんた、アン・ソンギだろ? 小さい頃の面影があるねぇ。最近はちっとも映画館に行く余裕がなくて、映画見ていないんだけどさ…」と話かけてきたんですね。一方、話しかけられたアン・ソンギさんといえば、丁寧な受け答えをしていました。

ひとしきり話して、そのアジュンマが行った後に「あの方、ご近所の方だったんですね?」と尋ねると、「…いいえ」と(笑)。アジュンマがとても親しく話しかけていて、アン・ソンギさんがきちんと対応されていたのでてっきり知り合いだとばかり思っていたのですが。

ところで、アジア映画社を発足されようと思われたきっかけをお聞かせください。
当時は、韓国映画が(劇場でもテレビでもビデオでも)日本にまったく紹介されていませんでした。
『風吹く良き日』以降、韓国映画が面白くなってきましたから、その息吹を日本に伝えたいと思いました。

日本のマスコミ報道はともすると政治一辺倒に傾きがちだったので、韓国に対する見方が一面的になってしまいます。激動する政治・社会、その中で生きている人間の喜怒哀楽に共感すること、それが言葉抜きで韓国、韓国人への理解につながると思いました。良い映画にはそんな力がありますから。

要は、日本で普通に韓国映画が見られるようになってほしい、でもまだ誰もしていなかったからです。

「於宇同」自主上映を87年になさったきっかけは。
「於宇同」はイ・ジャンホ監督が韓国の表現の自由の限界に挑戦して、センセーショナルな話題を呼んだ作品です。

日本で劇場公開したかったのですが、当時は日本の劇場(配給会社)の壁が高くて、劇場公開できず、自主上映しました。自主上映の限界を感じて、1988年度に『鯨とり』と『青春スケッチ』は劇場公開しました。折りしも東京にミニシアターが誕生しましたから。

長年に渡り韓国映画に仕事で携わられていて、何が変わって、何が不変だとお感じでしょうか。
韓国の映画人があまりお酒を飲まなくなりました(笑)。半分冗談ですが。

職人の世界から、ビジネスライクになったと言うか…
作品自体もスタイリッシュになって、「世代が変わった」という感じです。

今の監督はモニタを見ながら、その日その日撮った場面を確認していきますが、昔は全て監督の頭の中に入っていて、フレーミングとかも勘で決めていく。

ちょうど今、60代の監督がデジタルとアナログの境目にいるのでしょうか。

ーーー
アジア映画社さんのオフィスにはファン垂涎のアイテムが数多く保管されています。



スチール写真などもたくさん拝見させていただきました。




兪澄子さん、お忙しいところお時間ありがとうございました。
また次回、いろいろお話お聞かせください!

2011年4月23日土曜日

シム・ヘジンさん

シム・ヘジン/심혜진さんがアン・ソンギさんの印象を語られています。

アン・ソンギさんとは「その島に行きたい/그 섬에 가고 싶다」(1993)、「パク・ポンゴン家出事件/박봉곤 가출사건」(1996、キム・テギュン/김태균監督のインタビューはこちら)、「生寡婦慰謝料請求訴訟/생과부 위자료 청구소송」(1998)で共演なさっています。

2011年4月19日火曜日

イ・ミョンセ監督来日

4月15〜17日に大分県別府市で開催された別府八湯日韓次世代映画祭。
ゲストの一人として、イ・ミョンセ/
이명세監督が来日されました。



インタビューを近日中にアップいたします。

2011年4月15日金曜日

村山俊夫先生の語るアン・ソンギさん

昨日発売になった、「アン・ソンギ——韓国『国民俳優』の肖像」の著者、村山俊夫先生のインタビューです。村山先生は現在京都在住で、緑豆楽院という韓国語教室を開校していらっしゃいます。


アン・ソンギさんと最初に出会われたのはいつですか?
1994年、第7回東京国際映画祭・京都大会で審査員として来日した彼の通訳を担当することになったときです。都ホテルのロビーで待ち合わせたのですが、一人でふらっと、まるで出張のビジネスマンのようにいらっしゃいました。ちっともスターらしくない、それでいて穏やかな人柄に非常に惹かれました。

何かその時のエピソードはございますか?
カラオケで「南部軍/남부군」(1989)、「ホワイト・バッジ/하얀전쟁」(1992)のチョン・ジヨン/정지영監督、「トゥーカップス/투캅스」(1993)「シルミド/실미도」(2003)のカン・ウソク/강우석監督と一緒に「鯨とり(宋昌植/송창식の歌)」を肩を組んで歌われましたね。その時私も一緒に肩を組み歌ったんですよ!

大森監督とは京都市内の居酒屋でアン・ソンギさんと一緒に過ごしたことがありました。

最初のアン・ソンギ作品は何でしたか?
25年前ソウルに語学留学をしていた頃、貸本屋で「恐怖の外人球団」というマンガを手に取りました。そのマンガが映画になったと知り、映画館を探して見に行ったのが最初に見た彼の作品ですね。彼の鋭い眼光がとても印象的でした。

御著書、拝読しました。最後の章がインタビューになっていますが、何かその際のエピソードはございますか。
映画館併設の個室になっているレストランで昨年行ったのですが、夏で冷房がよくきいていました。
アン・ソンギさんがいらっしゃる前から同席した出版社の担当者が寒いと言っていたのですが、彼が到着してすぐ、それが分かったのか「寒いようでしたら[扉を]開けましょうか」と声をかけられましたね。担当者もその心配りに感激していました。


アン・ソンギさんは韓国映画を語る時には欠かせない俳優ですが、彼の本を書こうと思われた最大のきっかけ・理由は何だったでしょうか。
もともと言葉を通じて隣国の文化や歴史、生活や人々の考え方を理解できたら、という思いで韓国語教室をやり始めたわけですが、17年前に東京国際映画祭・京都大会でアン・ソンギさんの通訳を務めて彼の人柄を間近で見た時、こんな人がいることを多くの人に知ってもらえたらと考えました。

彼は俳優ですから、映画を通じて多くの人に出会うわけですが、日本ではたとえばアメリカ映画と比べても、韓国映画を見る機会はそれほど多くはありません。そこで本を通じて、これまでの軌跡を振り返ることができれば、映画を見なくても彼を知ることができるのではないかと思いました。

しかし、彼の映画人生を知るほど、単に一俳優の歩みというだけでなく、韓国の現代史、その中で作られ時代を映してきた韓国映画、そこに描かれた南北分断の悲劇や、軍人独裁がもたらした苦痛、生活の中の喜怒哀楽や夢などを知ることができる機会ともなりました。果たしてそれらのすべてを、充分に描くことができたかどうかは読者の皆さんの判断にお任せするしかありませんが、そんな思いがこめられていると知っていただければありがたいです。

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村山先生、授業の合間のお忙しい中、お時間どうもありがとうございました!

2011年4月11日月曜日

ペ・チャンホ監督の語るアン・ソンギさん

先日KOFAで「鯨とり」上映後にトークショーをされたペ・チャンホ監督。快くインタビューに応じてくださいました。


アン・ソンギさんと最初にお会いになられたのはいつでしたか? またその時の印象は?
1980 年の前半、「風吹く良き日」の助監督時期に偶然、光化門(クァンファムン)の喫茶店で会いました。その場に私はイ・ジャンホ監督と一緒にいたのですが、青 年アン・ソンギ氏を初めて見る瞬間でしたね。もちろん子役時代のアン・ソンギ氏はスクリーンで何度も見ましたが。

第一印象は、人間的には謙虚で誠実な人と感じたし、演技者としても知的でありがながら庶民的な役まで全部こなすことができるのではという雰囲気が感じられました。

撮影中、何か特に印象深く残っているエピソードはございますか?
13本もの作品を一緒に作ったので1本1本それぞれの記憶は思い出せませんが、

●『鯨とり』ではミヌの衣装を探すために二人して色々な市場を歩き回り、南大門市場でふさわしい服を選び出すことができ、喜んだこと

●そうして手に入れた衣装にあのポケットを、アン・ソンギ氏自身が家で裁縫して付けたというプロ根性

●本当に息がよく合った演技者で、監督の私をいつも信頼したこと

ですね。

今回の日本でのリバイバル上映に関して、日本のファンの方々にメッセージをお願いします。
二つの作品とも1980年代に日本の韓国映画ファンから愛してもらった作品ですが、2011年、
このようにして日本の観客の方々にまた見ていただけることが本当に嬉しく、当時の封切の時のように心が踊ります。

この映画を通じて、「鯨とり」の主人公らと共に日本の観客の皆さんがご自身の心の中の「鯨」を探すことを願って… 機会があれば私も公開時に、日本に行ってみたいですね。

ーーー
ペ・チャンホ監督、お忙しい中丁寧にご回答いただき、ありがとうございました。

2011年3月4日金曜日

6月18日(土)「風吹く良き日」公開決定

先日お伝えした「風吹く良き日」、「鯨とり」のリバイバル公開ですが、新宿のK'sシネマにて6月18日(土)に公開日が決定いたしました。

まず6月18日(土)に「風吹く良き日」、その2~3週間後に「鯨とり ナドヤカンダ」が上映になり、それ以降全国の短館系の劇場で順次公開になります。
配給元の太秦株式会社小林三四郎代表取締役、宣伝ご担当の西川様にお話を伺いました。

この2作品をお選びになった動機を教えてください。
小林代表取締役「骨太で荒削りだけれども、勢いのある80年代の映画が日本ではスルーされている。当時の作品は監督や俳優達の『映画を作りたい!』という強い想いや、映画を作ることの喜びが伝わってくる作品が多いと思います。あの時代の映画は今の韓国映画の土台になっているのではないでしょうか」。

今回タイトルに副題といいますか、『ナドヤカンダ』が着いていますね。
「はい。『鯨とり』だけですと、知らない人にとっては『また捕鯨の映画?』ということにもなりかねないですし、かといって『僕は行く』だとどうも座りが悪い。なのでキム・スチョルが歌う劇中歌のタイトルをそのまま用いることにしました」。
「この映画をリアルタイムで楽しんだ韓国映画のファンの方々はもちろん、ドラマから入った、この映画を知らない、現在の韓流ファンの方々にもぜひ届けたいです」。

公開から30年以上も経っているということで、こんなご苦労も。
「残念ながら『風吹く…』の方で一部音声が飛んでしまう箇所があります。現在、専門の技術部に頼んでなるべく復元を試みているところです。私たちとしては極力ベストな状態で皆さまにお届けしたいのですが修復にかかる時間的な問題もあり、近々に決断しないといけないのが心苦しいところです」。

「アン・ソンギさんの作品はこの『鯨とり ナドヤカンダ』が初めてです」とは宣伝ご担当の西川さん。「オープニングは『一体どんな話が始まるんだろう??』と思いましたが(笑)、俳優さん達のまっすぐさが見ていて潔く、気持ちいいです」。

チラシも現在校了段階。

もう少しで劇場で手に取っていただくことができるでしょう。

詳細また情報入り次第、この情報板でご連絡いたします。
それまではキム・スチョル/
김수철セルフカバーの「나도야 간다」をどうぞ…

西ヶ原字幕社 林原圭吾さん

この夏「鯨とり」、「風吹く良き日」が劇場にてリバイバル上映になりますが、実は「鯨とり」はDVD販売を来年の1月(予定)に控え、現在着々と字幕制作・吹き替え制作の作業が進められています。

そのDVD関連の作業に加え、
劇場上映時の字幕もご担当されている有限会社西ヶ原字幕社取締役・林原圭吾さんにお話をうかがいました。

林原さんの初・韓国はいつごろ、どんな形でしたか?
中学校が韓国の学校と姉妹校縁組みをしていまして、1週間ほど釜山に行く機会がありました。それが初・韓国です。

ニューズレターによると、中学校の頃からKBSの日本語放送を愛聴されていたとか。
えぇ。昨年4月からは字幕制作に加え、NHKのラジオ・ジャパンの韓国語放送の翻訳チェッカー兼収録ディレクターも勤めています。

大学時代に初めて字幕を手がけられるのですね。
ソウル大への1年間の留学から帰国して、先輩から字幕のバイトの誘いの留守電が入っていて。MBCのドラマ「ベスト劇場」でした。一話完結の1時間もので。98年です。
それからいろいろとTV番組の字幕などを手がけ、2003年、地上波の「バリでの出来事」の翻訳で認めてもらえたと思っています。

「鯨とり」の字幕を手がけられることになったきっかけは何でしょう?
ブログに詳しく書いたのですが、この名作を埋もれさせてはいけない! と。実はVHSの権利元の会社が廃業していて、このままでVHSが無くなれば、そのままになって消えてしまう恐れがありました。そこでいろいろ調べまして、弊社でこの作品のDVDのビデオグラム権を買いました。僕にとっても初のアン・ソンギ作品がこれで、97年か98年にVHSで見ましたね。

作品にもよると思いますが、字幕が完成するまでに何度くらいご覧になりますか?
作品を問わず、少なくとも3回は全編通して見ることになります。
1)字幕の出入りのタイミングを計る、スポッティングの作業、2)翻訳、3)納品前の流しチェックで合計3回です。

3回以上見たいというベクトルと、そうも言っていられないベクトルがあり、
前者は多くの回数見たほうが内容の理解が深まるから、後者は
・飽きる→誤字や誤訳を見落としやすくなる
・何度も見る時間がない
の2つです。

ですから納期に余裕があり何度見ても飽きない作品は、回数見ます。「鯨とり」は翻訳の前3ヶ月で6回ほど見たと思います。

このDVDにはセリフの解説本がつくそうですね。
はい。この本は韓国語の、映像翻訳の教材としての位置づけです。
前半は全セリフの文法的な解説で、外語の朝鮮科の授業でなされているようなことです。個人的に、語学力というのは、理屈と経験のかけ算だと思っており、それを、こうした形で示せればと思っています。
後半は字幕・吹き替え翻訳の解説をする予定です。

これは私の長年の「恨(ハン)」とでも言いましょうか、十数年字幕制作に携わっている者としてずっと抱いてきた思いを形にしたものなのですが、なかなか自社で権利を持っていないと自由がきかないのです。それが本作品では叶うことになりました。

昔の韓国映画には当時の言論弾圧を受けている韓国国民を、障害者やマイノリティに置き換えた登場人物として描いたものが少なくありません。そういった時代背景や歴史を踏まえて、この作品をきちんと『名作』として扱いたいと思います。

人の創作物(ここでは映画ですが)というのは、作り手が設定ひとつ、セリフひとつ、シーンひとつに思いを込め、受け手がそれを様々に解釈する、時に受け手の置かれた環境から作り手が意図しなかったものさえそこに見出すわけです。
翻訳者としては、まずは作り手の思いを正しく導きだし、そして次に、受け手の様々な解釈があることを踏まえて、それらに耐えるような字幕をつけたいと思っています。

なるほど… 解説本、ますます気になりますね! では、最後に一言お願いします。
劇場にも足を運んでいただき、その半年後にDVDもご購入いただけるとうれしいです。DVD「鯨とり」に興味を持っていただける方がいれば、ぜひご連絡ください。1枚からでも手売りいたします!
私たちは翻訳なり、DVDを作るほうには経験がありますが、物を売ることに関しては、てんで自信がありません。なので、皆さまの口コミが頼りです。

ーーー
DVDの予約申込書に映画の半券を添付した方の中から、毎週(!)ペアで1組様を、沖縄・ホエールウォッチングツアーにご招待だそうです(沖縄までの旅費は含まれておりませんが)。そして林原さん個人的には、アン・ソンギ演じるミヌの、家財道具入りコートをきちんと型番から調べて復元して1着プレゼント用に作りたいとか。


写真は「鯨とり」の脚本コピーと88年公開当時のパンフレットを持つ林原さん。
西ヶ原字幕社さんのニューズレター
西ヶ原字幕社さんの 「鯨とり」リバイバル ブログ
西ヶ原字幕社さんの「鯨とり」ツイッター

韓国の歴史・時代背景にも詳しく、ご自身でロックバンドもされていた彼の言葉のかけ算は、何ケタまで増えていくのでしょう…

ビデオグラム権のみお持ちなので有料でのDVD上映はできないそうですが、無料上映会などされている方でご興味おありの方はぜひこちらにコメントを寄せてください。

予約開始等、また発売が近づきましたらこの情報板でも再度ご紹介いたします。
林原さん、お忙しい中お時間ありがとうございました!
ーーー
加筆:
解説本ですが、現在の予定としては「普通版DVD、デラックス版DVDセット(DVD+解説書)もあり、解説書も単体で発売」をお考えとのことです。
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2011年1月8日土曜日

パク・キョンミさんの語るアン・ソンギさん

月刊誌「スッカラ」。韓国に興味のある方なら一度はその名前を聞いたり、手にとったりしたことがある雑誌ではないでしょうか。

昨年6月、SHORTSHORTS FILM FESTIVAL日韓共同プロジェクトのシンポジウムに来日されたアン・ソンギさんへのインタビューが昨年の8月号(vol.54)p50−51に掲載されています(続くp52-53でもシンポジウムの様子が紹介されています)。


そのインタビューで通訳をなさったスッカラ編集部のパク・キョンミさんにお話を伺うことができました。


初・アン・ソンギ作品は何ですか? また、その(ご覧になった)きっかけは何でしたか?
私が初めて見たのは1984年作の「고래사냥/鯨とり〜コレサニャン〜」という映画だったと思います。
ビデオだったのか、テレビでやってたのかは忘れたんですけど、母が私の隣で見てました。小さいころでした、たぶん小学校1年くらいだった気がします。

なぜ私がこの映画を覚えてるかというと、映画の中で男の人がスーパーに入って生の鶏肉を食べるシーンがあったんですけど、私にはそれがあまりにも衝撃だったので、その場面だけをずっと覚えてて、すこし大きくなってその映画は「고래사냥」だったんだ、とわかりました。
[管理人補足:ピョンテ役のキム・スチョルさんと親分役のアン・ソンギさんが留置所で出会い、その後「朝飯どうする?」と一計を案じ、英語圏の観光客二人からおめぐみをもらいます。それに続いて露天商が並ぶ市場のような路地に入って行き、そこでアン・ソンギさんがいろいろつまみ食いをするのですが、2回目のつまみぐいをしたお店の「となり」が鶏の生肉を山積みにして売っています。開始から15分後くらいのシーンです]

アン・ソンギさんに関するエピソードあれば教えてください。
15分ほどの短いインタビューでしたが、「国民俳優」を目の前にして心臓がドキドキ、これまでにないくらい緊張してなかなか言葉がうまく出ませんでした。

アン・ソンギさんから「ゆっくりでいいですよ/천천히 하세요」と逆に気を遣っていただいて… 
余計恐縮してしまいました(苦笑)。

それにしても目のオーラが違います! 初めてです、あんな眼力は… 
何と言うか、「ただ者ではない!」感じでした。怖いとかではなく、一言でうまく言えないのですが…

ーーー

鮮明に記憶に残っていたシーンに登場していたアン・ソンギさんに直接会えるとは… パク・キョンミさんの感慨もひとしおだったのではないでしょうか? 

パク・キョンミさん、お時間ありがとうございました! 

2010年12月25日土曜日

イム・グォンテク監督の語るアン・ソンギさん

第8回国際文化フォーラムの奈良セッション「映画と東アジア」のため来日されていた、イム・グォンテク監督のインタビューです。


アン・ソンギさんを最初に起用するきっかけは何でしたか?
子役時代からよく知っていました。普通は子役で成長した後は大体忘れることが多いのに、彼は成人してからも映画で活躍していたのでよく覚えていたのですよ。

[
アン・ソンギさん出演のイム・グォンテク監督作品]
만다라/曼荼羅(1981)
오염된 자식들/堕落した子供たち(1982)
안개마을/霧の村
(1982)
태백산맥/
太白山脈(1994)
축제/祝祭
(1996)
취화선/醉画仙
(2001/2002)

アン・ソンギさんといえば思い出すエピソードなどがあれば、教えてください。
自己管理がすごく徹底している人。
だから自分の感情をおくびにも出さないです。いつも慎重に自己の世界を管理している演技者です。

[以下は
監督の101作目となる次回作についてです。パク・チュンフンさんが出演なさっています]

監督の最新映画について、日本のファンのために一言お願いします。
韓国人が作って海外によく輸出した品物は、高麗時代までにさかのぼりますが「紙」でした。
(その時代に)韓国の製品で中国で人気があったのは高麗人参、その次に韓紙/한지でした。

中国でも紙をたくさん生産していましたが、韓国の紙がより好まれていたようです。
ある韓紙の質がすごく賞賛を浴びたこともあり、商品価値としてもすごく高かったのですが、現代は韓国でも韓紙があまり使われていません。今は商業的にも採算が合わなくなって… 日本の和紙や中国の画仙紙などは今も世界的によく知られていますが、韓紙は
その存在価値自体が知られていませんね。

それで、今、韓紙を取り上げる必要があると思ったのです。
今は韓紙を作れる技術者たちも商売にならないから、もう生産を止めてこんな状態になってしまった。だから韓紙にもう一度日の目を見せないといけない、と思ったのです。そうすることによって世界的に、文化的にも、多様性を持たせることもできるじゃないですか…

ーーー
次の会場に移動される間の短い時間でしたが、丁寧に答えてくださいました。
イム・グォンテク監督、どうもありがとうございました。

[通訳ご協力:NPO法人奈良外国語観光ガイドの会 池田常雄理事長]

2010年12月12日日曜日

シン・ヨンギュン芸術文化財団、初代理事長に選任

俳優シン・ヨンギュン/신영균氏が私財を投じて設立された、創立準備中の財団法人シン・ヨンギュン芸術文化財団(仮称)の初代理事長にアン・ソンギさんが選任されました。こちら。

記事中に出て来る施設は명보극장(명보아트홀)、신영영화박물관です。

2010年12月5日日曜日

イム・グォンテク監督

文化庁主催の第8回国際文化フォーラムの奈良セッション「映画と東アジア」にパネリストのお一人として来日されたイム・グォンテク監督にインタビューしてまいりました。


第一部「アジアの映画が直面する課題」のテーマのもと、発表中の監督です。
モニタには「風の丘を越えて/西便制
/서편제」の「この家族が一番幸せだった時」(監督)が映し出されています。

追ってインタビュー内容はアップいたします。

2010年11月6日土曜日

大田雅一さんの語るアン・ソンギさん

今回はコリアキネマ倶楽部の運営・管理人、大田雅一さんにお話を伺いました。「てじょん」さんのお名前でご存知の方も多いと思います。


アン・ソンギさんとの出会いを教えてください。
私が初めて知ったのは、ペ・チャンホ監督の『コレ・サニャン~鯨とり/고래사냥』でした。私にとって韓国映画を初めて知ったのが、この作品だったと言ってもいいです。中野の武蔵野館でイ・ジャンホ監督の『暗闇の子供たち/어둠의 자식들』との二本立てでした。

この80年代ニューウェーブを代表する2監督の代表作2本を見て、衝撃的な感動を受け、以来すっかり韓国映画にはまってしまいました。

私にとって『コレ・サニャン~鯨とり』は『韓国版スターウォーズ』と言ってもいい。
アン・ソンギはもちろんハン・ソロ役。弱きを助け、強きをくじく…

「コレサニャン」がアン・ソンギ作品のデビューだったため、以降どの作品を見ても「あ、あのインテリ乞食がまたこんなところでこんな役に『化けて』いるぞ」と。それくらいあの作品の役柄は強烈で、素晴らしかった。あの「乞食節」がいまだに耳を去りやらないですね。

アン・ソンギさんと言えば… というエピソードがあれば教えてください。
河合塾の主宰した1995年のおおさかコリア映画祭での『神さまこんにちは/안녕하셔요 하나님』『曼荼羅/만다라』上映会に、当時結成していた「韓国映画学会」として大阪まで行きました。上映後の懇親会で丸テーブルを囲み、映画にちなんだ安眠メガネと花束を贈呈したのですが、笑ってもらえてよかったです。

2回目は「韓国映画学会」として再び、同年の第8回東京国際映画祭で『永遠なる帝国/영원한 제국』が上映された時。短い時間でしたが、挨拶させていただくことができました。

非常に忙しい中でも常に関係者への心配りを忘れず、にこやかに丁寧に応対してくれたアン・ソンギさん。これまでさまざまな韓国の映画人にお目にかかる中で、どこか日本の映画人とはひと味違うと感じていましたが、韓国では映画の俳優には特にこうした人格的な面も要求されているといいます。でも、彼はやはり別格だったことは言うまでもないですね。
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大田さん、お忙しい中お時間ありがとうございました!

大田さんが運営される映画上映会で、来年3月12日(土)『ヘアー・ドレッサー/헤어드레서』が上映になります。
【場所】文京シビックセンター 地下1階 アカデミー文京
南北線・丸の内線・大江戸線・三田線 後楽園駅・春日駅 直結
【日時】18時開場 18時半開映  
【料金】無料 予約不要
【共催】韓国文化院