2011年4月15日金曜日

村山俊夫先生の語るアン・ソンギさん

昨日発売になった、「アン・ソンギ——韓国『国民俳優』の肖像」の著者、村山俊夫先生のインタビューです。村山先生は現在京都在住で、緑豆楽院という韓国語教室を開校していらっしゃいます。


アン・ソンギさんと最初に出会われたのはいつですか?
1994年、第7回東京国際映画祭・京都大会で審査員として来日した彼の通訳を担当することになったときです。都ホテルのロビーで待ち合わせたのですが、一人でふらっと、まるで出張のビジネスマンのようにいらっしゃいました。ちっともスターらしくない、それでいて穏やかな人柄に非常に惹かれました。

何かその時のエピソードはございますか?
カラオケで「南部軍/남부군」(1989)、「ホワイト・バッジ/하얀전쟁」(1992)のチョン・ジヨン/정지영監督、「トゥーカップス/투캅스」(1993)「シルミド/실미도」(2003)のカン・ウソク/강우석監督と一緒に「鯨とり(宋昌植/송창식の歌)」を肩を組んで歌われましたね。その時私も一緒に肩を組み歌ったんですよ!

大森監督とは京都市内の居酒屋でアン・ソンギさんと一緒に過ごしたことがありました。

最初のアン・ソンギ作品は何でしたか?
25年前ソウルに語学留学をしていた頃、貸本屋で「恐怖の外人球団」というマンガを手に取りました。そのマンガが映画になったと知り、映画館を探して見に行ったのが最初に見た彼の作品ですね。彼の鋭い眼光がとても印象的でした。

御著書、拝読しました。最後の章がインタビューになっていますが、何かその際のエピソードはございますか。
映画館併設の個室になっているレストランで昨年行ったのですが、夏で冷房がよくきいていました。
アン・ソンギさんがいらっしゃる前から同席した出版社の担当者が寒いと言っていたのですが、彼が到着してすぐ、それが分かったのか「寒いようでしたら[扉を]開けましょうか」と声をかけられましたね。担当者もその心配りに感激していました。


アン・ソンギさんは韓国映画を語る時には欠かせない俳優ですが、彼の本を書こうと思われた最大のきっかけ・理由は何だったでしょうか。
もともと言葉を通じて隣国の文化や歴史、生活や人々の考え方を理解できたら、という思いで韓国語教室をやり始めたわけですが、17年前に東京国際映画祭・京都大会でアン・ソンギさんの通訳を務めて彼の人柄を間近で見た時、こんな人がいることを多くの人に知ってもらえたらと考えました。

彼は俳優ですから、映画を通じて多くの人に出会うわけですが、日本ではたとえばアメリカ映画と比べても、韓国映画を見る機会はそれほど多くはありません。そこで本を通じて、これまでの軌跡を振り返ることができれば、映画を見なくても彼を知ることができるのではないかと思いました。

しかし、彼の映画人生を知るほど、単に一俳優の歩みというだけでなく、韓国の現代史、その中で作られ時代を映してきた韓国映画、そこに描かれた南北分断の悲劇や、軍人独裁がもたらした苦痛、生活の中の喜怒哀楽や夢などを知ることができる機会ともなりました。果たしてそれらのすべてを、充分に描くことができたかどうかは読者の皆さんの判断にお任せするしかありませんが、そんな思いがこめられていると知っていただければありがたいです。

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村山先生、授業の合間のお忙しい中、お時間どうもありがとうございました!

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