2006年、映画人達がスクリーンクォーター制*縮小反対の抗議行動を起こしました。
光化門の教保ビルの前で一人デモを最初に行ったのがアン・ソンギさんでした。
プラカードには「문화는 교역의 대상이 아니라 교류의 대상입니다(文化は交易の対象ではなく、交流の対象です)」と書かれています。
当時、アン・ソンギさんにインタビューをされた、現・日本経済新聞社編集局アジア部 編集委員兼論説委員の池田元博さんから今回お話を聞くことができました。残念ながらインタビュー自体は紙面に載ることはなかったそうですが、お会いになられたときの印象などをおうかがいしました。
*Screen Quota。自国内で製作された映画の上映を日数・スクリーン面数などの最低基準を設けて国内の映画館に義務付ける制度。韓米自由貿易協定(FTA, Free Trade Agreement)により、146日から73日(現行)に縮小になった。
アン・ソンギさんに初めて会われたのはどのような場面でしたか?
2006年のはじめ、知人から「ある人が来るから、よかったら一緒に昼食会に来ませんか?」と誘われ、そこに来られていた「ある人」がアン・ソンギさんでした。当時はあまり彼のことを知らずそんなに話もできませんでしたが、静かな方、ある意味「普通」の方、という初印象を受けました。
その後しばらく時間が経ち、2006年2月になって「(韓米FTA締結阻止のために)映画人がデモをするらしい」という情報が入ってきました。デモの初日2月4日、日経ソウル支局があるビルの前の光化門を窓から下を覗いてみると寒空の下、誰かが立っているのが見えました。下りていって見てみると、それがアン・ソンギさんだったのです。
「あの… だいぶ前に昼食会でお会いした池田です」と告げると覚えていらして、抗議行動に関してインタビューを申し出るとすぐに快諾され、実現しました。
アン・ソンギさんと言えば思い出すエピソードは何でしょう?
とにかく飾らない、普通の方、ということです。
芸能人だと多かれ少なかれ、気取ったり、虚勢を張ったり、相手によって態度を変えたりする方々が多いのが普通です。アン・ソンギさんの場合、言葉は悪いですが「隣のおじさん」と言えるほど、謙虚で実直な印象を受けました。インタビューにも一人でふらっと現れましたし…
インタビューでは、各国[ブラジル、フランス]のスクリーンクォーター制や米国の年間作品数やそれに対する韓国での公開率についても、年を追って具体的に数字を挙げながら詳しく話されました。時折り厳しい言葉を交え、本当に韓国映画界の将来を心配している様子が随所に見られたのが印象的でした。
またインタビューの最後に「自分は20代で映画を始め、70代まで50年、つまり一生映画人で生きて行くことに決めています。だから10年とかそういった短いものさしで収入や人気がどうこうというのではなく、もっと長い目で見て行くことがよいのではと思うのです」とも言われていましたね。
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池田さん、お忙しい中お時間ありがとうございました。
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