2010年7月28日水曜日

シン・ヨンシク監督インタビュー

個別インタビューです。


実際に撮影が始まるまで3~4年の月日が流れたいうことでしたが、最初からアン・ソンギさんをヒョンマン役にお考えだったのでしょうか。

좋은 배우」(2005年公開)という映画を海外の映画祭で公開してから、こういう映画を撮りませんかというお誘いがかかるようになりました。シナリオも書いていいですよということで、「페어 러브」のシナリオを1週間で書き上げました。


まだ配役が決まっていないとき、シネ2000という映画会社の社長と別件で会う機会がありました。その場にアン・ソンギさんもちょうどいらっしゃって、脚本は持ち合わせていたのでお渡ししたのがきっかけでした。アン・ソンギ先輩はちょうど「화려한 휴가光州5.18」を撮影しているときでした。


その3か月後、アシアナ国際短編映画祭で再びアン・ソンギ先輩にお会いしたのですが、その時脚本を全て頭の中に入れている状態で会いに来てくださいました。普通、シナリオを渡すと俳優は自分のパートだけ見るものです。ところがアン・ソンギ先輩は相手側の女優のパートの比重を増やしてほしい、とおっしゃいました。それは新鮮な衝撃でした。


これまで「페어 러브」に関するインタビューを読むと、アン・ソンギさんがシナリオを非常に気に入ったという紹介がありました。(相手のパートのことまで考えるほど)読み込むにはある程度の時間が必要かと思うのですが、次にお会いになられたのはどれくらい時間が経っていたのでしょう?

秋に会ってからアシアナ短編映画祭でお会いしたので約3か月です。

実はアン・ソンギ先輩とご一緒できるとは最初思っていなかったんですけれど、[そんなアドバイスをいただいたので]もしかしたらできるかもしれない、このチャンスは逃す事ができないと思いました。ちょうどその時期に韓国映画の製作が全般的によくない方向に向かう時期でもあったので、私としてはハラハラ心配していました。アン・ソンギ先輩と一緒に仕事をする機会を失いたくないという思いで、長文のメールをアン・ソンギ先輩に送りました。アン・ソンギ先輩は形だけの挨拶などには心を動かされないお方なのですが、私もそれを分かっていながら、「アン・ソンギ先輩は俳優生活50周年を迎えられました。この先の新しい50周年を私の作品で幕を開けませんか。きっと楽しく演技をしていただけるような作品にします」と書きました。もちろん本心でした。


アン・ソンギ先輩はこの映画のために出資をしてくださる会社を紹介してくださったり、本当にたくさんの努力をしていただき感謝しています。


117分のランニングタイム内に納めるために、泣く泣く切ったシーンがあったとうかがいましたが。

まだナムンがヒョンマンとつきあう前、ナムンがどんどんアプローチしていって、「私とつきあってください」とせがむシーンです。個人的に好きなシーンがたくさんあったんですけれど、例えば、ナムンが「つきあってください」と言ったのを拒否するシーンがあるんですね。その時のやりとりは…


ヒョンマン:君はまだ若い。僕とつきあっても、僕はもうすぐいなくなる。君は若い男性を捜す事ことになるだろう。

ナムン:生まれたときから死ぬことを心配する人はいないわ。

ヒョンマン:日が暮れたら、必ず太陽は沈むことは決まっている。それと同じようにこの世に生を受けたら、いずれは死ぬということは決まっているんだ。


そういったディテールの部分は残念ながら大きな事件とは関係ないので削らざるを得ませんでした。



心の機微を表した部分が削除になったということですね。でも2人のそのセリフはとても対照的ですね、2人の物事に対する考え方をとてもよく表していると言いますか。

映画公開に合わせてなら、小説版を出版するという企画が突然持ち上がり、2週間で書き上げました。実は途中新型インフルエンザにもかかってしまって 小説の中には映画に出てこない、ヒョンマンが風邪をひくシーンや、先ほどのカットになった二人のやりとりも含まれていますよ。


[小説の表紙]


メロー、恋愛映画は心の機微を描くものなのでそんなに早く書いていいものかと思いましたが、本作に関してはうまく書くことができました。次回作のフィルム・ノワールの作品は時代背景も調べる必要があるので、執筆には3か月かかりました。


監督の「(中年)メロー三部作」ということで「페어 러브」、「안나 (アンナ)」、そしてもう1本ということで以前紹介がされていました。フィルム・ノワールの作品はどれにあたりますか?

もう1本は早く書くつもりはありません。韓国では国が芸術映画に支援をしてくれる制度があります。「안나 」は今その制度にシナリオを送って審査の申込をしたところです。


フィルム・ノワールの作品はメロー三部作には当てはまりません。あまりメロー作品ばかりを撮っていると、それしか撮らない監督と思われてもいけませんので…


フィルム・ノワールの作品のタイトルは?

적운해/赤雲海」です。


「赤雲海」が意味するところは? 何かの象徴ですか、それとも実在する地名とかなのでしょうか?

劇中に関係するシーンが出てきます。アン・ソンギ先輩がある人に若い頃の話をする場面があるのですが、白頭山백두산で急に雲が出てきて一歩も動けなくなった、と。日が暮れるまでずっと動けなかったのですが、やがて夕暮れで赤く染まる雲海を見ながら独りなのだが独りではない穏やかな気持ちになった、と話します。そこから来ています。


実は「赤雲海」の構想が生まれたのは「페어 러브」のレストランのシーンを撮っていたときでした。営業時間外に撮影する必要があったので、0時から撮影が始まり終わったのが朝の4時近く。アン・ソンギ先輩も疲れきっていて、辛そうでした。ちょうどその時、当時アメリカに留中のご長男から帰国したという連絡が携電話に入りました。撮影後にアンソンギ先輩は空港まで迎えに行かれたのですが、電話を受けたときや空港に迎えに行くときの表情を見ていると「世の中にこんなに幸せな表情をしている男性は他にいるのだろうか」というくらい幸せな表情をしていらっしゃいました。アンソンギ先輩は民俳優でもあると同時に一家の長でもあるのですね。


フィルム・ノワールの)1930年代を舞台にした作品は悪役は悪役なのですが、ある組織の「長」、どうして長になったかと言えば生き抜くため、生き残って、家族を守るためなんですね。その父親の姿を描きました。また父親の世代(学を受けることができない)とその子供達の世代(有名大学に進むエリート)という2つの世代を描いてもいるので、そういった意味では独特な映画になると思いますね。

ーーー

적운해/赤雲海」はまだロケ地等いろいろと詰めるところがあるそうですが、楽しみですね。

監督のこれからのますますのご活躍をお祈りしております。

0 件のコメント:

コメントを投稿