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インタビューその1 。インタビューその2 。インタビューその3 。イ・ミョンセ監督からうかがった話 です。「 NOWHERE 情け容赦無し/ 인정사정 볼 것 없다 」の記者会見直前まで出演を悩んでいた(もしくは悩んでいるように見えた)ので監督・共演者の皆さんが心配していた、でも一旦記者会見が始まると「はい、[主役ではないですが]出演します」とキッパリ発言なさったので皆びっくりした… と。 あの時は本当に悩みました。元々「형사수첩(刑事手帳) 」というタイトルで主役の刑事役で話が来ていたのですが犯人役にオファーが変わり、「どうして…」といろいろ思っていました。でもイミョンセ監督が[私が仕事でいた]釜山までわざわざ来て「 非常に重要な意味合いを持つ 準主役 だからこそ、お願いしたい」と 直接説明してくれ、その意味を納得し、出演することに決めました。 あの映画では準主役で出番も少なかった、でもシナリオが良かった。 そしてこの作品が私にとって「準主役を演ずる」という新しい出発点になりました。「第2の俳優人生」が始まったというか。 そして、これから後が逆に楽になりましたね。シナリオがよければ、自分が出演する意味を見いだせれば、役の大小に関わらず、出演シーンが少なくても出ようと心を決めました。 その契機になった映画です。 記者会見直前まで悩んでいたように見えたのは… そうでしたか? よく覚えていないですが(笑)。
10月6日〜14日に開かれる第16回釜山映画祭のガラ・プレゼンテーションにて「부러진 화살」 が上映されます。実際にあった事件を劇化したこの作品、 アン・ソンギさんが 教授役で出演されています。
キスシーンについて、以前インタビューで答えられたコメントが載っています 。
「風吹くよき日」「鯨とり ナドヤカンダ」日本公開に合わせ、今年6月にソウルで 安聖基 さんに単独インタビューなさった共同通信編集委員・論説委員の平井久志さんにお話をうかがいました。
90年にアシアナ航空の機内誌用に単独インタビューをなさっていますが、今 回約20年ぶりにお会いになってどんな印象を持たれましたか?
単独インタビューは2回目ですが、これまで団体インタビュー等に何度か参加したこともありました。この20年間特に変わっていないなぁ、というのが正直なところです。謙虚で、誠実な人柄は本当に変わっていないし、加えて気さくです。とても「国民俳優」という感じではありません。例えば、僕がもし、日本の「国民俳優」例えば、渥美清さんみたいな方にインタビューするなら、かなり、緊張すると思うのですが、安聖基さんの場合、そういう感じはありません。気さくな平常心でインタビューできました。「あまり変わっていないだろうな」と思っていたら「やっぱり変わっていない」という感じです。
83〜84年に留学なさって公開当時「鯨とり」をご覧になったそうですが、 その時市民の間ではどのように話題になっていましたか?
非常に人気のあった作品でしたよ。私はソウルの鍾路の団成社(タンソンサ)という映画館で見た記憶があるのですが、間違っているのかもしれません。僕は今回のインタビューで安さんに「この映画は韓国のイージーライダーですね」と言うと、笑って肯定している感じでした。
あぁ、ずっと気になっていてインタビューの時に尋ねたことがあります。「ウド」という島が本当の島かどうかということ。済州島に「牛島(ウド) 」という島があるのですが、済州島で雪があるわけはなく、江原道のようなところに「ウド」という島があるのかという疑問と、江原道ならチュンジャが最後に母親と話す慶尚南道なまりは変で、話が合わないのではないかとずっと疑問でした。 安聖基 さんの答えは「この牛島(ウド)は架空の島」という回答でした。韓国語を勉強した者には、チュンジャの慶尚道なまりが本当に魅力的です。これは字幕では味わえない感覚ですね。
これまでなさったインタビューの中で何か印象に残っている点があれば教えてください。
延世(ヨンセ)大学国文科の馬光洙教授が「 安聖基 よ、『ヤハン・キ(派手な氣)』を養え」と言ったことがあります。90年のインタビューでその発言について尋ねたのですが「『ヤハン・キ』は年をとると派手でなくなるし、瞬間的なものでしかない。これからは熱の冷めない、永遠性のある作品に出演したい」と言っていましたね。
安聖基 さんは私の好きな俳優です。安聖基さんも、僕も1952年生まれです。韓国では解放後も朝鮮戦争がありましたから、朝鮮戦争のあった1950年から53年に生まれた世代は「戦中派」なのです。同じ「戦中派」として、記者として韓国の現代史を取材してきました。僕は記者として韓国現代史とつきあってきましたが、安聖基さんの活動はまさに映画を通じた「韓国現代史」です。役柄は多様で、すばらしい方ですが、ずっと芯の部分は同じだと思います。梅の実なら、安聖基さんは梅干しの酸っぱい味や甘く漬けた梅までいろいろな味を出してきましたが、その梅の実の中にある殻は壊していないような気がします。梅の実の中には「天竺」という種がありますが、その部分を出した映画がみたいという気がします。それは、まだ本当の安聖基さんが映画に表出されていないような気がしますね。私が監督だったらその「真の 安聖基 」を何とか出してみたいなぁ(笑)。
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平井さん、お忙しい中お時間ありがとうございました。また 安聖基 さんへインタビューなさる機会ございましたら、ぜひエピソードお聞かせください。
[今回はアン・ソンギさんの表記を平井さんがこちらのほうがお好きということでタイトル以外は『安聖基』にしてあります]
インタビューその1 。
インタビューその2 。
現在日本で「風吹く良き日」(1980)、「鯨とり」(1984)が公開になっています。今回初めてアン・ソンギさんの作品を見た方から「2作品で違う人が演じているのかと思った」という感想を聞きました。
そりゃあ俳優だからね(爆笑)。
えぇ、もちろんそうなのですが(苦笑)、80年代は政局的にも大きな変動があり、またアン・ソンギさんのプライベートでも奥様との出逢いもありました。この4年間で何か他に個人的に特別な変化がございましたか?
80年は確かに政治的にもいろいろなことがおき、また検閲も厳しかったです。パク・チョンヒ大統領が暗殺され、世の中の流れも変わりました。 目に見えない圧力の中で葛藤する青年たちの話ですし、 そういう中での 「風吹く…」の公開でしたが 、「鯨とり」は元々ファンタジーですし、笑いもある。自分自身も面白く出演した作品でした。2つはそういった意味でも全く異なる作品ですから[特にそのように見えたのではないでしょうか]。
また「風 吹く …」の後、81年に「난장이가 쏘아올린 작은 공」という作品に出て、この頃からとても忙しくなりました。そうして経験を積んでいったことも関係していると思います。