2010年8月31日火曜日

モバイルワールドカップ

携帯でいかに早く正確に文字を打つか… 
LGエレクトロニクスが
モバイルワールドカップを開催しています。

こちらの動画は昨年のものです。

アン・ソンギさんが選ばれたお題はこちら。

이타리아가면축제

프랑스의레드와인

하와이의와이키키

뉴욕의브로드웨이

덴마크의코펜하겐


イタリアの仮面祭
フランスの赤ワイン
ハワイのワイキキ
ニューヨークのブロードウェイ
デンマークのコペンハーゲン

2010年8月28日土曜日

無報酬出演の意義

先に紹介したグッドダウンロードキャンペーンなど、CFや映画に無報酬で出演する俳優たち、その意義について書かれた記事がありました。こちら

2010年8月18日水曜日

MBC "뜨거운 형제들" ご出演?

8月15日放送のMBC「일요일 일요일 밤에」の第1部「뜨거운 형제들」に出演した歌手テ・ジナさんが次回以降のゲストにアン・ソンギさんとパク・チュンフンさんを推薦されました

番組内の「アバター株式会社」はゲストがこれまでしてみたかったこと、してみたいことをアバター(分身)を通じて体験するという企画です。ちなみにテ・ジナさんは高級ホテルでの一日勤務をイ・ギグァンさんをアバターとして体験されました。

MBC公式ページ 일요일 일요일 밤에 뜨거운 형제들

次週の予告編はこちら

2010年8月15日日曜日

忠清南道舒川郡新城里・葦の河原

화려한 휴가/光州5・18」(2007)の撮影でも使われた忠清南道舒川郡新城里の葦の河原が、ドラマ・映画・ミュージックビデオなどの撮影地として脚光をあびている、と舒川郡政策企画室よりプレスリリースが出ています(写真も同サイトより。2010年5月撮影)。33万平米にも広がる広大な河原に加え、四季の特徴がはっきりしている点が人気の1つだそうです。

Googleマップより。

韓国観光公社の紹介ページはこちら

「화려한 휴가」のポスターシリーズより。

2010年8月12日木曜日

「イム・グォンテクの全貌」展開幕


映像資料院シネマテークKOFA1館にて「イム・グォンテクの全貌」展が8月12日~10月3日の間、開催されています。期間中、全70本のイムグォンテク監督作品の上映が予定されています。ゲストを招いてのイベント詳細はこちら

初日の今日18:00から行われた開幕式では「만다라/曼陀羅」のデジタル復元版が上映され、アン・ソンギさんもご出席されました。その様子はこちら

2010年8月6日金曜日

MAXIMをiPhoneで



無料ダウンロードサイトはこちら
本家?(アメリカ)ではiPadでも読めるようですね。

ペ・ジョンリョルさんが語るアン・ソンギさん

先日の表参道でのイベントでも「(外国では)日本に一番多く来ている」とおっしゃっていたアン・ソンギさん。 映画「MUSA」のPRで来日されていた数年前、インタビューに立ち会われた当時「韓国語ジャーナル」編集長、現・株式会社HANA代表のペ・ジョンリョルさんにお話をうかがうことができました。

アン・ソンギさんに初めて会われたのはどのような場面でしたか?
2003年2月、都内の某ホテルのスイートで雑誌の巻頭特集インタビューでお会いしました。
チョン・ウソンさんも一緒に来日されていたのですが、「目から、耳から、韓国のことばと文化を学ぶマガジン」をうたう私たち(韓国語ジャーナル)としてはやはりアン・ソンギさんだろう! とインタビューを申し込みました。
[管理人加筆:インタビューは「韓国語ジャーナル」2003年4月号・第4号のp8~11に掲載、インタビューのCD付きです]

アン・ソンギさんと言えば思い出すエピソードは何でしょう?
インタビューの時間が30分しかなく、でも聞きたい事はたくさんある… 時間内にまとめるのに苦労したのを覚えています。
表紙の写真を撮るのも3分くらいしかなくて、しかも夕暮れで、大変でした。

とにかく飾らない方です。インタビューの始まる前とかにも、普通に世間話をされていましたし…

ある映画祭に(運転手もマネージャーも持たないので)自分で運転してレッドカーペットまで到着されたところ、 「あ、車どうしよう…」と。そのまま遠い駐車場まで運転して行って、歩いてレッドカーペットまで戻られた、とおっしゃっていました。

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ペ・ジョンリョルさん、お忙しいところ、お時間ありがとうございました。
この時のインタビュアーをご紹介いただけましたので、後日お話をうかがい、別途アップしたいと思います。

2010年8月4日水曜日

スッカラ8月号

Suッkara (スッカラ) 8月号にアン・ソンギさんインタビュー(見開き2頁)、先日の表参道での日韓観光振興シンポジウムの記事(見開き2頁)が載っています。
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[加筆] アン・ソンギさんインタビューはp50〜51です。

「伝説の名優たち その演技の力」

今年の1〜3月、NHKラジオ第2で「伝説の名優たち その演技の力」が放送されました。その第12回目4月4日放送分がアン・ソンギさん、「曼荼羅」(1981)の紹介だったようです。

冊子はまだこちらで購入可能です。

ところで、小説「曼荼羅」の登場人物のモデルになった方とアン・ソンギさんが対面された時の小さなニュースが出ています(上から3番目)。

2010年8月3日火曜日

シン・ヨンシク監督Q&A2

先日7月30日に行われた、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭でのシン・ヨンシク監督Q&A第2回目の様子です(kazumiさんよりリンクのご快諾いただきました、ありがとうございます)。

7月25日に行われた第1回目の様子こちら
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8月4日 リンク不具合を修正しました。

リメイク版「下女」、合法ダウンロード1位に

アン・ソンギさんがパク・チュンフンさんと共同委員長を務めるグッドダウンローダーキャンペーン運動本部からの発表です。

7月26日〜8月1日の1週間、リメイク版하녀/下女」が合法的にダウンロードされた作品の1位に。詳細はこちら

オリジナル版「하녀/下女」についてはこちらにも少し紹介しています。

大鐘賞、審査方法変更に

大鐘賞一般人50名で構成された予審審査委員が選出した作品から、アン・ソンギさんを含む組織委員17名が授賞作品を選ぶ方法に変更になるようです。詳しくはこちら

アン・ソンギさん受賞歴は…
・1980年 第19回 新人賞「風吹く良き日」
・1982年 第21回 男優主演賞「鉄人たち」
・1983年 第22回 男優主演賞「霧の村」
・1985年 第24回 男優主演賞「ディープ・ブルー・ナイト」:写真はこちら
・1991年 第29回 人気賞
・1993年 第31回 人気賞      
・1994年 第32回 男優主演賞「トゥ・カップス」
・1994年 第32回 人気賞
・2006年 第43回 50年の美・特別賞
・2007年 第44回 男優主演賞「ラジオ・スター」

2010年7月31日土曜日

2011年世界陸上競技選手権大会

来年2011年8月27日〜9月4日アン・ソンギさんご出身の大邱広域市にて世界陸上競技選手権大会が行われます。

2010年7月30日金曜日

ユニセフ

アン・ソンギさんが韓国委員会の親善大使になっているユニセフとアシアナ航空が行っている募金活動の集計作業の様子です。

1992年12月ユニセフ特別代表、1993年5月ユニセフ韓国委員会親善大使に着任されてから現在までのユニセフでの活動の歴史はこちら

シン・ヨンシク監督からのメッセージ

「페어 러브」をご覧になられた、また、これからなるアン・ソンギファンの皆さまに、シン・ヨンシク監督ご夫妻よりメッセージをいただきました。


"두려움은 모든 죄악의 근원"
「恐れは全ての罪悪の根源である」
シン・ヨンシク


"페어 러브"를 사랑해주셔서 너무 감사드려요
「페어 러브/けがれなき愛」を愛してくださって、
本当にありがとうございます(感謝申し上げます)」
クォン・ハンビ
("페어 러브"ではスクリプターをご担当なさいました)

来年3月に第一子誕生ご予定のお二人です。
奥様のメッセージカードのイラストに小さく見えますでしょうか…!

2010年7月28日水曜日

シン・ヨンシク監督インタビュー

個別インタビューです。


実際に撮影が始まるまで3~4年の月日が流れたいうことでしたが、最初からアン・ソンギさんをヒョンマン役にお考えだったのでしょうか。

좋은 배우」(2005年公開)という映画を海外の映画祭で公開してから、こういう映画を撮りませんかというお誘いがかかるようになりました。シナリオも書いていいですよということで、「페어 러브」のシナリオを1週間で書き上げました。


まだ配役が決まっていないとき、シネ2000という映画会社の社長と別件で会う機会がありました。その場にアン・ソンギさんもちょうどいらっしゃって、脚本は持ち合わせていたのでお渡ししたのがきっかけでした。アン・ソンギ先輩はちょうど「화려한 휴가光州5.18」を撮影しているときでした。


その3か月後、アシアナ国際短編映画祭で再びアン・ソンギ先輩にお会いしたのですが、その時脚本を全て頭の中に入れている状態で会いに来てくださいました。普通、シナリオを渡すと俳優は自分のパートだけ見るものです。ところがアン・ソンギ先輩は相手側の女優のパートの比重を増やしてほしい、とおっしゃいました。それは新鮮な衝撃でした。


これまで「페어 러브」に関するインタビューを読むと、アン・ソンギさんがシナリオを非常に気に入ったという紹介がありました。(相手のパートのことまで考えるほど)読み込むにはある程度の時間が必要かと思うのですが、次にお会いになられたのはどれくらい時間が経っていたのでしょう?

秋に会ってからアシアナ短編映画祭でお会いしたので約3か月です。

実はアン・ソンギ先輩とご一緒できるとは最初思っていなかったんですけれど、[そんなアドバイスをいただいたので]もしかしたらできるかもしれない、このチャンスは逃す事ができないと思いました。ちょうどその時期に韓国映画の製作が全般的によくない方向に向かう時期でもあったので、私としてはハラハラ心配していました。アン・ソンギ先輩と一緒に仕事をする機会を失いたくないという思いで、長文のメールをアン・ソンギ先輩に送りました。アン・ソンギ先輩は形だけの挨拶などには心を動かされないお方なのですが、私もそれを分かっていながら、「アン・ソンギ先輩は俳優生活50周年を迎えられました。この先の新しい50周年を私の作品で幕を開けませんか。きっと楽しく演技をしていただけるような作品にします」と書きました。もちろん本心でした。


アン・ソンギ先輩はこの映画のために出資をしてくださる会社を紹介してくださったり、本当にたくさんの努力をしていただき感謝しています。


117分のランニングタイム内に納めるために、泣く泣く切ったシーンがあったとうかがいましたが。

まだナムンがヒョンマンとつきあう前、ナムンがどんどんアプローチしていって、「私とつきあってください」とせがむシーンです。個人的に好きなシーンがたくさんあったんですけれど、例えば、ナムンが「つきあってください」と言ったのを拒否するシーンがあるんですね。その時のやりとりは…


ヒョンマン:君はまだ若い。僕とつきあっても、僕はもうすぐいなくなる。君は若い男性を捜す事ことになるだろう。

ナムン:生まれたときから死ぬことを心配する人はいないわ。

ヒョンマン:日が暮れたら、必ず太陽は沈むことは決まっている。それと同じようにこの世に生を受けたら、いずれは死ぬということは決まっているんだ。


そういったディテールの部分は残念ながら大きな事件とは関係ないので削らざるを得ませんでした。



心の機微を表した部分が削除になったということですね。でも2人のそのセリフはとても対照的ですね、2人の物事に対する考え方をとてもよく表していると言いますか。

映画公開に合わせてなら、小説版を出版するという企画が突然持ち上がり、2週間で書き上げました。実は途中新型インフルエンザにもかかってしまって 小説の中には映画に出てこない、ヒョンマンが風邪をひくシーンや、先ほどのカットになった二人のやりとりも含まれていますよ。


[小説の表紙]


メロー、恋愛映画は心の機微を描くものなのでそんなに早く書いていいものかと思いましたが、本作に関してはうまく書くことができました。次回作のフィルム・ノワールの作品は時代背景も調べる必要があるので、執筆には3か月かかりました。


監督の「(中年)メロー三部作」ということで「페어 러브」、「안나 (アンナ)」、そしてもう1本ということで以前紹介がされていました。フィルム・ノワールの作品はどれにあたりますか?

もう1本は早く書くつもりはありません。韓国では国が芸術映画に支援をしてくれる制度があります。「안나 」は今その制度にシナリオを送って審査の申込をしたところです。


フィルム・ノワールの作品はメロー三部作には当てはまりません。あまりメロー作品ばかりを撮っていると、それしか撮らない監督と思われてもいけませんので…


フィルム・ノワールの作品のタイトルは?

적운해/赤雲海」です。


「赤雲海」が意味するところは? 何かの象徴ですか、それとも実在する地名とかなのでしょうか?

劇中に関係するシーンが出てきます。アン・ソンギ先輩がある人に若い頃の話をする場面があるのですが、白頭山백두산で急に雲が出てきて一歩も動けなくなった、と。日が暮れるまでずっと動けなかったのですが、やがて夕暮れで赤く染まる雲海を見ながら独りなのだが独りではない穏やかな気持ちになった、と話します。そこから来ています。


実は「赤雲海」の構想が生まれたのは「페어 러브」のレストランのシーンを撮っていたときでした。営業時間外に撮影する必要があったので、0時から撮影が始まり終わったのが朝の4時近く。アン・ソンギ先輩も疲れきっていて、辛そうでした。ちょうどその時、当時アメリカに留中のご長男から帰国したという連絡が携電話に入りました。撮影後にアンソンギ先輩は空港まで迎えに行かれたのですが、電話を受けたときや空港に迎えに行くときの表情を見ていると「世の中にこんなに幸せな表情をしている男性は他にいるのだろうか」というくらい幸せな表情をしていらっしゃいました。アンソンギ先輩は民俳優でもあると同時に一家の長でもあるのですね。


フィルム・ノワールの)1930年代を舞台にした作品は悪役は悪役なのですが、ある組織の「長」、どうして長になったかと言えば生き抜くため、生き残って、家族を守るためなんですね。その父親の姿を描きました。また父親の世代(学を受けることができない)とその子供達の世代(有名大学に進むエリート)という2つの世代を描いてもいるので、そういった意味では独特な映画になると思いますね。

ーーー

적운해/赤雲海」はまだロケ地等いろいろと詰めるところがあるそうですが、楽しみですね。

監督のこれからのますますのご活躍をお祈りしております。

2010年7月25日日曜日

池田元博さんが語るアン・ソンギさん

2006年、映画人達がスクリーンクォーター制*縮小反対の抗議行動を起こしました。
光化門の教保ビルの前で一人デモを最初に行ったのがアン・ソンギさんでした。
プラカードには「문화는 교역의 대상이 아니라 교류의 대상입니다(文化は交易の対象ではなく、交流の対象です)」と書かれています。

当時、アン・ソンギさんにインタビューをされた、現・日本経済新聞社編集局アジア部 編集委員兼論説委員の池田元博さんから今回お話を聞くことができました。残念ながらインタビュー自体は紙面に載ることはなかったそうですが、お会いになられたときの印象などをおうかがいしました。

*Screen Quota。自国内で製作された映画の上映を日数・スクリーン面数などの最低基準を設けて国内の映画館に義務付ける制度。韓米自由貿易協定(FTA, Free Trade Agreement)により、146日から73日(現行)に縮小になった。


アン・ソンギさんに初めて会われたのはどのような場面でしたか?
2006年のはじめ、知人から「ある人が来るから、よかったら一緒に昼食会に来ませんか?」と誘われ、そこに来られていた「ある人」がアン・ソンギさんでした。当時はあまり彼のことを知らずそんなに話もできませんでしたが、静かな方、ある意味「普通」の方、という初印象を受けました。

その後しばらく時間が経ち、2006年2月になって「(韓米FTA締結阻止のために)映画人がデモをするらしい」という情報が入ってきました。デモの初日2月4日、日経ソウル支局があるビルの前の光化門を窓から下を覗いてみると寒空の下、誰かが立っているのが見えました。下りていって見てみると、それがアン・ソンギさんだったのです。

「あの… だいぶ前に昼食会でお会いした池田です」と告げると覚えていらして、抗議行動に関してインタビューを申し出るとすぐに快諾され、実現しました。


アン・ソンギさんと言えば思い出すエピソードは何でしょう?
とにかく飾らない、普通の方、ということです。
芸能人だと多かれ少なかれ、気取ったり、虚勢を張ったり、相手によって態度を変えたりする方々が多いのが普通です。アン・ソンギさんの場合、言葉は悪いですが「隣のおじさん」と言えるほど、謙虚で実直な印象を受けました。インタビューにも一人でふらっと現れましたし…

インタビューでは、各国[ブラジル、フランス]のスクリーンクォーター制や米国の年間作品数やそれに対する韓国での公開率についても、年を追って具体的に数字を挙げながら詳しく話されました。時折り厳しい言葉を交え、本当に韓国映画界の将来を心配している様子が随所に見られたのが印象的でした。

またインタビューの最後に「自分は20代で映画を始め、70代まで50年、つまり一生映画人で生きて行くことに決めています。だから10年とかそういった短いものさしで収入や人気がどうこうというのではなく、もっと長い目で見て行くことがよいのではと思うのです」とも言われていましたね。
ーーー
池田さん、お忙しい中お時間ありがとうございました。