「風吹く良き日」初日に劇場で上映されたビデオレターです。
東日本大震災の被災者へメッセージ
震災の報道に触れたときは本当に大きな衝撃を受け、胸を痛めました。
とても言葉では言い表せないほどの慰労の気持ちをお伝えしたいと思います。
悲しみを一日も早く克服し、全ての問題が円満に解決できますように、韓国だけでなく世界中が一日も早い復興を願っています。
簡単ではないでしょうが、日本がこの苦難に打ち勝つことを祈っています。
ーー
그런 어떤 큰 이번 그 사건을 저희가 알게 됐을 때 진짜 많은 우리 국민들이 너무나 많이 충격을 받았고 가슴 아파했습니다.
어떻게 말로 어떻게 형용할 수 없는 그런 위로의 말씀을 이렇게 보내드리고 싶고, 하여튼 그런 어떤 슬픔 뭐 이런 것을 빨리 극복했으면 좋겠고 빨리 잘 모든 것이 원만하게 뒷수습이 됐으면 좋겠고 지금 뭐 세계나 한국이나 마찬가지로 전부 일본이 빨리 복구됐으면 좋겠다는 심정은 전부 같은 것 같습니다.
여러분 힘드시더라도 잘 이렇게 참으시고 이 고난을 이겨내시기를 바라겠습니다.
日本のファンへメッセージ
私の映画をご覧いただいた方々、ファンの皆さま、本当にありがとうございます。
きっと昔から私の映画をご覧いただいているファンの方々もいると思います。これからも心変わりしないようお願いいたします。
新しい映画を通して、喜びや感動を分かち合い、同じ時代を呼吸したいと思います。
皆さまの健康とお幸せをお祈りいたします。
어떤 이렇게 제 영화를 보기 위해서 이렇게 와주신 여러분들께 팬들께 감사 말씀 드립니다.
분명히 아마 오랫동안 저에게 애정을 보내주시는 분들이 분명히 많으리라고 생각하고요.
앞으로도 그 변치 마시기를 바라고 또 새로운 영화를 통해 가지고 늘 기뻐하며 그 영화를 통해서 즐거워하며 또 감동받으면서 같은 이 시대를 같이 호흡하면서 살아가기를 바라겠습니다.
여러분들 건강하시고 모두 다 행복하시길 바라겠습니다.
(ハングル書きおこし:藤田友秀、イ・テウ)
2011年6月25日土曜日
2011年6月24日金曜日
2011年6月21日火曜日
2011年6月20日月曜日
2011年6月17日金曜日
本「인생의 뜰을 거닐며/人生の庭を散策して」
ゴルフコラムニストの이순숙/イ・スンスクさん著「인생의 뜰을 거닐며/人生の庭を散策して」(月刊ゴルフ・ヘラルド刊)でアン・ソンギさん他のゴルフ哲学を紹介しています。
2011年6月14日火曜日
ユニセフ「私の誕生日寄付キャンペーン」
ユニセフ韓国委員会が行う「私の誕生日寄付キャンペーン」にアン・ソンギさんも参加されています。
参加方法
1)自分の誕生日と選択肢の中からあらかじめ選んでおいた救援物資*を登録する
2)家族や友人にそのウィッシュリストを送る
3)家族や友人がウィッシュリストから購入した救援物資がユニセフ コペンハーゲン物流センターに届く
4)世界155ケ国の子供たちに直接贈られる
もしくは
1)スターの誕生日プレゼントにあらかじめ選ばれた救援物資を自分が購入する
2)購入した救援物資がユニセフ コペンハーゲン物流センターに届く
3)世界155ケ国の子供たちに直接贈られる
* 蚊帳、栄養剤、ビスケット、ワクチン、救急セット、手動式ポンプ、など。
参加方法
1)自分の誕生日と選択肢の中からあらかじめ選んでおいた救援物資*を登録する
2)家族や友人にそのウィッシュリストを送る
3)家族や友人がウィッシュリストから購入した救援物資がユニセフ コペンハーゲン物流センターに届く
4)世界155ケ国の子供たちに直接贈られる
もしくは
1)スターの誕生日プレゼントにあらかじめ選ばれた救援物資を自分が購入する
2)購入した救援物資がユニセフ コペンハーゲン物流センターに届く
3)世界155ケ国の子供たちに直接贈られる
* 蚊帳、栄養剤、ビスケット、ワクチン、救急セット、手動式ポンプ、など。
2011年6月12日日曜日
来日 SSFF&ASIA 2011
6月23日(木)に行われる、ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2011 日韓観光振興トークイベントにアシアナ国際短編映画祭実行委員長であるアン・ソンギさんが来場決定と告知が出ています。入場無料ですが、事前の申込が必要です。
2011年6月10日金曜日
アジア映画社さんが語るアン・ソンギさん
韓流映画をはじめとして、様々なアジアのドラマ・映画の提供・配給・上映を手がけいらっしゃるアジア映画社さん。
アン・ソンギさん出演作品も1987年「於宇同(オウドン)/어우동(韓国での上映は1985年)」から数多く手がけていらっしゃる、アジア映画社の朴炳陽さん・兪澄子さんご夫妻をお訪ねしました。
インタビューは兪澄子さんにお答えいただきました。
初めてアン・ソンギさんに会われたのは?
1988年に『鯨とり/고래사냥』を日本で公開することになり、ソウルでお会いしました。
9月の大阪公開初日の舞台挨拶にはアン・ソンギさんを大阪にお招きしました。
その秋は環太平洋映画祭でも『成功時代/성공시대』の上映が急に決まり、時間的に余裕がなく、私はその35ミリプリントを手持ちで日本に運ばないといけなくなりました。ソウルでプリント入手に手間取り帰国日が遅れたのですが、それで金浦空港の搭乗待ちラウンジでアン・ソンギさんとバッタリ… アン・ソンギさんは自販機でコーヒーを買ってきてくれました。
当時はエコノミーで、自費で来日されていたんですよ。もちろんチケット代は日本で清算しましたが。
何かその時のエピソードはございますか?
話をしながら搭乗を待っていたところ、一人のアジュンマが「あんた、アン・ソンギだろ? 小さい頃の面影があるねぇ。最近はちっとも映画館に行く余裕がなくて、映画見ていないんだけどさ…」と話かけてきたんですね。一方、話しかけられたアン・ソンギさんといえば、丁寧な受け答えをしていました。
ひとしきり話して、そのアジュンマが行った後に「あの方、ご近所の方だったんですね?」と尋ねると、「…いいえ」と(笑)。アジュンマがとても親しく話しかけていて、アン・ソンギさんがきちんと対応されていたのでてっきり知り合いだとばかり思っていたのですが。
ところで、アジア映画社を発足されようと思われたきっかけをお聞かせください。
当時は、韓国映画が(劇場でもテレビでもビデオでも)日本にまったく紹介されていませんでした。
『風吹く良き日』以降、韓国映画が面白くなってきましたから、その息吹を日本に伝えたいと思いました。
日本のマスコミ報道はともすると政治一辺倒に傾きがちだったので、韓国に対する見方が一面的になってしまいます。激動する政治・社会、その中で生きている人間の喜怒哀楽に共感すること、それが言葉抜きで韓国、韓国人への理解につながると思いました。良い映画にはそんな力がありますから。
要は、日本で普通に韓国映画が見られるようになってほしい、でもまだ誰もしていなかったからです。
「於宇同」自主上映を87年になさったきっかけは。
「於宇同」はイ・ジャンホ監督が韓国の表現の自由の限界に挑戦して、センセーショナルな話題を呼んだ作品です。
日本で劇場公開したかったのですが、当時は日本の劇場(配給会社)の壁が高くて、劇場公開できず、自主上映しました。自主上映の限界を感じて、1988年度に『鯨とり』と『青春スケッチ』は劇場公開しました。折りしも東京にミニシアターが誕生しましたから。
長年に渡り韓国映画に仕事で携わられていて、何が変わって、何が不変だとお感じでしょうか。
韓国の映画人があまりお酒を飲まなくなりました(笑)。半分冗談ですが。
職人の世界から、ビジネスライクになったと言うか…
作品自体もスタイリッシュになって、「世代が変わった」という感じです。
今の監督はモニタを見ながら、その日その日撮った場面を確認していきますが、昔は全て監督の頭の中に入っていて、フレーミングとかも勘で決めていく。
ちょうど今、60代の監督がデジタルとアナログの境目にいるのでしょうか。
ーーー
アジア映画社さんのオフィスにはファン垂涎のアイテムが数多く保管されています。
スチール写真などもたくさん拝見させていただきました。
兪澄子さん、お忙しいところお時間ありがとうございました。
また次回、いろいろお話お聞かせください!
アン・ソンギさん出演作品も1987年「於宇同(オウドン)/어우동(韓国での上映は1985年)」から数多く手がけていらっしゃる、アジア映画社の朴炳陽さん・兪澄子さんご夫妻をお訪ねしました。
インタビューは兪澄子さんにお答えいただきました。
初めてアン・ソンギさんに会われたのは?
1988年に『鯨とり/고래사냥』を日本で公開することになり、ソウルでお会いしました。
9月の大阪公開初日の舞台挨拶にはアン・ソンギさんを大阪にお招きしました。
その秋は環太平洋映画祭でも『成功時代/성공시대』の上映が急に決まり、時間的に余裕がなく、私はその35ミリプリントを手持ちで日本に運ばないといけなくなりました。ソウルでプリント入手に手間取り帰国日が遅れたのですが、それで金浦空港の搭乗待ちラウンジでアン・ソンギさんとバッタリ… アン・ソンギさんは自販機でコーヒーを買ってきてくれました。
当時はエコノミーで、自費で来日されていたんですよ。もちろんチケット代は日本で清算しましたが。
何かその時のエピソードはございますか?
話をしながら搭乗を待っていたところ、一人のアジュンマが「あんた、アン・ソンギだろ? 小さい頃の面影があるねぇ。最近はちっとも映画館に行く余裕がなくて、映画見ていないんだけどさ…」と話かけてきたんですね。一方、話しかけられたアン・ソンギさんといえば、丁寧な受け答えをしていました。
ひとしきり話して、そのアジュンマが行った後に「あの方、ご近所の方だったんですね?」と尋ねると、「…いいえ」と(笑)。アジュンマがとても親しく話しかけていて、アン・ソンギさんがきちんと対応されていたのでてっきり知り合いだとばかり思っていたのですが。
ところで、アジア映画社を発足されようと思われたきっかけをお聞かせください。
当時は、韓国映画が(劇場でもテレビでもビデオでも)日本にまったく紹介されていませんでした。
『風吹く良き日』以降、韓国映画が面白くなってきましたから、その息吹を日本に伝えたいと思いました。
日本のマスコミ報道はともすると政治一辺倒に傾きがちだったので、韓国に対する見方が一面的になってしまいます。激動する政治・社会、その中で生きている人間の喜怒哀楽に共感すること、それが言葉抜きで韓国、韓国人への理解につながると思いました。良い映画にはそんな力がありますから。
要は、日本で普通に韓国映画が見られるようになってほしい、でもまだ誰もしていなかったからです。
「於宇同」自主上映を87年になさったきっかけは。
「於宇同」はイ・ジャンホ監督が韓国の表現の自由の限界に挑戦して、センセーショナルな話題を呼んだ作品です。
日本で劇場公開したかったのですが、当時は日本の劇場(配給会社)の壁が高くて、劇場公開できず、自主上映しました。自主上映の限界を感じて、1988年度に『鯨とり』と『青春スケッチ』は劇場公開しました。折りしも東京にミニシアターが誕生しましたから。
長年に渡り韓国映画に仕事で携わられていて、何が変わって、何が不変だとお感じでしょうか。
韓国の映画人があまりお酒を飲まなくなりました(笑)。半分冗談ですが。
職人の世界から、ビジネスライクになったと言うか…
作品自体もスタイリッシュになって、「世代が変わった」という感じです。
今の監督はモニタを見ながら、その日その日撮った場面を確認していきますが、昔は全て監督の頭の中に入っていて、フレーミングとかも勘で決めていく。
ちょうど今、60代の監督がデジタルとアナログの境目にいるのでしょうか。
ーーー
アジア映画社さんのオフィスにはファン垂涎のアイテムが数多く保管されています。
スチール写真などもたくさん拝見させていただきました。
兪澄子さん、お忙しいところお時間ありがとうございました。
また次回、いろいろお話お聞かせください!
2011年6月3日金曜日
歌手チョ・ヨンピルさんとの交流
6月2日23:05からSBSにて放送された「한밤의 TV연예」にて、歌手チョ・ヨンピルさんと中学校時代からの交流について語られています。
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6月5日:リンクの不具合を修復しました。
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6月5日:リンクの不具合を修復しました。
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