2012年7月17日火曜日

ユン・ビョンウさんが語るアン・ソンギさん

現在、グラフィック・デザイナーとして日・韓両国でご活躍されるSTUDIO NO MARKのユン・ビョンウさん。韓国でなさっていたお仕事で、アン・ソンギさんにお会いになる機会があったそうです。


●アン・ソンギさんに初めて会われたのはどのような場面でしたか?
私がライブコンサートの企画側として仕事しているとき、あるライブコンサートのゲストとしてアン・ソンギさんがいらっしゃった時です。

●アン・ソンギさんと言えば思い出すエピソードは何でしょう? 
楽屋口からではなく普通にメインゲートから入られたので、ロビーは大パニック、約50分くらいお客さんへのサイン会みたいになってしまいました(苦笑)。

やっとのことで控え室に案内して「お飲み物はいかがでしょうか?」と尋ねたら、アン・ソンギさんが「いや、自分でコーヒー入れて飲むから大丈夫」とおっしゃって。しかもテーブルに用意されたスタッフ20名分のカップを見ると、1杯1杯直接つぎ始めました。

でも考えても見てください、天下のアン・ソンギさんにそんなことをさせるなんておそれ多くて、ほっておくわけにはいかないでしょう? 慌ててスタッフが替わろうとすると「私を誰だと思ってるんだ! 東西食品のMAXIMコーヒーCFを20年やってるアン・ソンギだぞ!(笑)この部屋に私より上手にコーヒーをいれることができる者がいるわけないだろう!?」と言って、結局全員分つぎ終わったんですね。いや、あの時はみんなその気さくさに驚くやら、感激するやらで…

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それはロビーにいた皆さんよりもすごい体験でしたね。 
ユン・ビョンウさん、貴重なエピソードありがとうございました!

東西食品CF


2012年7月15日日曜日

福岡アジア映画祭「ペースメーカー」ティーチイン1

福岡アジア映画祭にて昨夜行われた「ペースメーカー」ティーチインです。最初、キム・ダルジュン監督がご登壇、その後アン・ソンギさんがご登壇なさいました。
(ご登壇の写真は追って追加いたします。ネタバレがありますのでご注意ください)

(写真:今年2月、韓国で公開時にソウル駅にて)

Q1:主人公は五輪国内選考会の大会を完走していないのに国家代表に選ばれました。そのことを韓国国民は、世論は許すのでしょうか?
A1 :(苦笑)映画だから可能な話だということで。昔はそのようなケースもあったように思います。普通、世界大会は個人の記録の問題ですが、五輪になると国の問題になります。ですから3人走者を選ぶ時、2人はメダル獲得の可能性のあるランナー、最後の1人はペースメーカーを選ぶ、ということもあるでしょう。[そういう選考方法は]韓国だけでなく、他の国でも考えられることではないでしょうか。まぁ韓国の世論はゆるいですから(笑)、特に公開時に問題にはなりませんでした。

Q2: ロンドン五輪のシーンはとてもリアルでした。どのようにして撮影されたのですか?
A2:実際にロンドンロケを行いました。 2回渡英しましたが、最初はロケハン、2回目に撮影を行いました。天候にも恵まれたのと、ちょうど陽も長く4〜21時の間は明るかったので。5日間交通規制をしてレースシーンを、そして選手と並走して撮影した部分はあとからCGで合成しました。[CG合成は]60%ぐらいではないでしょうか。

Q3:アン・ソンギさんは国のメダルのため残酷な[監督]役を演じられました。誰かモデルはいるのでしょうか?
A3:もう亡くなりましたが、[1994年広島アジア競技大会でマラソン金メダルをとった] 황영조を発掘した監督がスパルタ方式で有名でした。少し参考にした部分はあると思います。

(以下、ネタバレ含みます)
Q4:ラストシーンはなぜあのようになさったのですか? 最後に別の大会でVサインを出して終わるシーンです。
A4:医学的に、科学的に考えますと、もうマノは[ロンドン五輪の後]走ることができません。でも観客がこの映画を見終わった後、喜んで帰ってもらうために、よいラストにすべきでは? と考えました。

Q5:マノ役の特殊メイクの意図は何でしょう? 
A5:義歯をしている点ですね? いろいろ理由はありますが、まず金持ちの家に生まれた場合、幼い時に矯正を受けることができるので、あのような[出っ歯な]歯並びでいるということは貧しい家庭に育ったということを意味しています。
2番目の理由は、これはマラソン映画なので、選手を正面より横から撮るシーンが多いです。 強烈な横顔を撮りたかったのです。

そして3番目の理由はイメージしたのが年老いた馬が必死に走る姿でした。そこから来ています。

Q6:今回のキャスティングについてすんなり決まったのでしょうか?
A7:苦労は特になかったです。主人公を演じたキム・ミョミンさんの持つイメージは元々よいものでしたし、 依頼したところすぐにOKをもらいました。「年をとったマラソン選手」という役を演じることでイメージを変えたいという思いもあったようです。アン・ソンギ先生からも監督役の快諾をすぐにいただきました。

ここで福岡アジア映画祭・前田代表が特別ゲストとしてアン・ソンギさんをご紹介なさいます。

Q8: 撮影で一番ご苦労なさったことは何でしょうか?
A8:アン・ソンギさん)私は座るシーンの多い監督役だったのでキム・ミョミンさんが走るのを見て心が痛かったです。できることなら私も一緒に身体を動かして走りたかったのですが。

Q9:私も[市民ランナーとして]普段から走っていますが、アン・ソンギさんも走っていらっしゃるのですか?
A9:アン・ソンギさん)はい、常に運動はしていますし、走っています。私のこのスタイルを見て分かりませんか?[と腰に両手をあて片足をすっと前に出し、モデル立ちをするアン・ソンギさん。会場大喝采]

Q10:監督とのエピソードなどあれば教えてください。また監督の次回作等、予定がありましたら。
A10:アン・ソンギさん)キム・ダルジュン監督は舞台、ミュージカル[『ヘドウィグ』『スリル・ミー』『ダンサーの純情』『スピットファイヤーグリル』『アタック・ザ・ガス・ステーション』など]を演出されてきた方ですが、映画は本作が処女作です。なので制作陣もいろいろと大変だろうと思いました。映画製作にはたくさんのお金とスタッフが必要です。このような規模の作品を処女作として手がけることになり、大変ではと思いました。新人監督としては内容のスケールが大きすぎて細部まで神経を使えなかった部分もあり、次回はもっと小さい規模のヒューマニズムを扱うような作品を撮られては、と思います。

キム・ダルジュン監督)今、[脚本を]準備している途中です。次回は小さい規模の作品を一所懸命撮りたいと思います。よろしくお願いします![深くお辞儀をなさる]

2012年7月14日土曜日

福岡アジア映画祭「折れた矢」ティーチイン1

昨夜、福岡アジア映画祭で上映された「折れた矢」後のティーチイン1の一部です。

Q:映画人のどなたかで、特に影響を受けた方がいらっしゃいますか?
A:ご存知のように韓国映画の歴史は他には見ない道をたどっています。50〜60年代にはよい監督や俳優がたくさんいましたが、70年代に入って軍事政権になり、そういった方々が自由に作品を作ることが難しくなり、結果として消えていってしまいました。私がデビューをしたのは70年代後半でしたから、残念ながらそういった先輩方とご一緒に仕事をする機会もなかったので…

同じ時期のアメリカン・ニューシネマの作品もよく見ました。俳優ではロバート・デニーロが好きですね。

Q:「折れた矢」の役作りはどのようになさいましたか?
A: キム・ギョンホ教授には撮影が終わってから一度お目にかかりました。冗談など1つも言わない方で、だからこそ、自分が信じたことを最後までやり遂げることができるのでは、という印象を受けました。

最初、監督からシナリオをもらったのが夕方だったのですが、その夜に読み、翌朝には「監督、一緒にやりましょう」と電話をしていました。それくらい魅力のある作品だと思ったのです。

ただテーマ的に[撮影当時]現在進行中(キム・ギョンホ教授は今年2月に出所)だったので製作陣も敏感になり、一緒に作ってくれそうな俳優はいないのではないか?と心配していたようです。ですから、無名の俳優を起用しようかという案もありました。私がシナリオを読んだ時、その完成度の高さに「とにかくシナリオ通り撮りましょう」と話をしたのです。

Q:最後テロップでも流れていたのですがよく分からなくて、結局どのようになったのでしょうか…?
A:居眠りをしていらっしゃったのではないですか?(笑) 刑務所に戻るシーンで終わりましたが、「刑務所=暗い」イメージではない、ということを暗示しています。出所後、本当のキム・ギョンホ教授は人権問題に取り組んでいらっしゃるようです。






2012年7月10日火曜日

「JURY」(仮題)

10日(火)13時、アートソンジェセンターにて第10回アシアナ国際短編映画祭オープニング作品「JURY」(仮題。キム·ドンホ釜山国際映画祭名誉執行委員長監督)の撮影現場公開、質疑応答の様子です。

2012年7月1日日曜日

KBS 2TV「芸能街中継」出演

30日21:15〜、KBS 2TVにて放送の「연예가 중계/芸能街中継」ご出演時の様子です。